宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」という童話に、「疱瘡(ほうそう)」に触れた箇所があります。
ある夏、この町の警察へ、新らしい署長さんが来ました。
この人は、どこか河獺(かわうそ)に似ていました。赤ひげがぴんとはねて、歯はみんな銀の入歯でした。
署長さんは立派な金モールのついた、長い赤いマントを着て、毎日ていねいに町をみまわりました。
驢馬(ろば)が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤ん坊があんまり泣いていると疱瘡(ほうそう)の呪まじないを早くしないといけないとお母さんに教えました。
宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」
疱瘡(ほうそう)は、天然痘のことで、日本では古来から、疱瘡除けのまじないをする風習があったそうです。
疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習を持つ地域も存在した。
疱瘡を患った患者の周りには赤い品物を置き、未患の子供には赤い玩具、下着、置物を与えて疱瘡除けのまじないとする風習もあった。
赤い物として、鯛に車を付けた「鯛車」という玩具や、猩々の人形も疱瘡神よけとして用いられた。
疱瘡神除けに赤い物を用いるのは、疱瘡のときの赤い発疹は予後が良いということや、健康のシンボルである赤が病魔を払うという俗信に由来するほか、生き血を捧げて悪魔の怒りを解くという意味もあると考えられている
。江戸時代には赤色だけで描いた「赤絵」と呼ばれるお守りもあり、絵柄には源為朝、鍾馗、金太郎、獅子舞、達磨など、子供の成育にかかわるものが多く描かれた。
(ウィキペディア「疱瘡神」のページから一部引用)
「鯛車」、Amazonで売られていました。
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「署長さん」が赤ん坊の母親に勧めたというまじないも、赤いオモチャだったかもしれません。
で、この「毒もみのすきな署長さん」は、このあと、とんでもない話になります。
「署長さん」たちの住むプハラの国には、狩猟や漁業について、奇妙な決まりがありました。
さてこの国の第一条の
「火薬を使って鳥をとってはなりません、
毒もみをして魚をとってはなりません。」
というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教 えます。
山椒(さんしょう)の皮を春の午(うま)の日の暗夜(やみよ)に剥(む)いて土用を二回かけて乾(かわ)かしうすでよくつく、その目方一貫匁(かんめ)を天気のいい日にもみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。
そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。
宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」
この「毒もみ」という漁法は、実際に東北地方で行われていたことがあるそうです。
主に歴史上における狩猟採集社会において用いられた。水の中に毒を撒き、魚を麻痺させたり水中の酸素含有量を減らすことで、魚を簡単に手で捕まえることが出来るようになる。
かつては世界中で行われており、その土地にある固有の有毒植物が使われていたが、日本では主に山椒が使われていた。川の中で山椒の入った袋を揉んで毒の成分を出すので「毒もみ」と呼ぶ(山椒の皮に含まれるサンショオールには麻痺成分がある)。日本では1951年施行の水産資源保護法第六条で、調査研究のため農林水産大臣の許可を得た場合を除いて禁止されている。
現代では主に東南アジアで青酸カリを撒く漁法が行われており、これは環境に著しい負荷を与え、特にサンゴ礁を破壊することで問題となっている。
(ウィキペデア「毒もみ」のページから一部引用)
少量であれば問題はないでしょうけれど、魚が大量に死ぬほどの量を水場にばらまいてしまっては、当然弊害も多いはずで、禁止されるのも当然でしょう。
プハラの国では、「毒もみ」は、処刑されるほどの重罪でした。
ところが、魚たちが豊かに泳いでいた河原の沼地から、魚が消えてしまい、町の人々は、毒もみをする人間が現れたのだろうと噂をします。
「署長さん」や巡査たちも、犯人逮捕のために河原の沼地を見張っていたようですが、やがて、町の子どもたちが、「署長さん」の挙動がおかしいことに気づきます。
最初のころは、犯人らしき人物を取り押さえようとしていたようだったのに、いつのまにか、「署長さん」が、粉にした木の皮や、毒もみにつかう灰を購入している姿が目撃されて、これはどうしたって「署長さん」が犯人ではないかということになってしまいました。
プハラの町長さんが、町を代表して「署長さん」に事情を聴きにいくと、「署長さん」は、あっけなく自白して、自ら逮捕され、進んで斬首されてしまいます。
さて署長さんは縛しばられて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。
いよいよ巨(おお)きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」
みんなはすっかり感服しました。
宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」
町の人々に親切だった「署長さん」の、あまりにも衝撃的な最期です。
彼は、ほんとうに犯罪者だったのでしょうか。
とてもそうとは思えません。
ということは、誰かをかばって、罪を背負って処刑されたのでしょうか。
でも、そうだとすると、いったい、誰をかばったのか。
それらしい人物は、物語のなかには出てきていません。
ただ、この物語には、「署長さん」の事件とは、直接かかわらないにもかかわらず、冒頭から妙に存在感のある、「下手な床屋のリチキ」という人物が登場しています。
リチキは、河原の沼地にチョウザメが泳いでいるのを見たと言い広めたのですが、チョウザメなんか見つからなかったため、町中の人々に軽蔑されていました。
さらに、毒もみの詳しい手法について、この物語は、リチキが教えたこととして説明しているのです。
その上、リチキは、仕事があまりにもヒマだというので、「署長さん」が毒もみで魚を獲って儲けた場合の収支計算表、なんてものまで書いています。
犯人は、リチキだったのか。
「署長さん」は、リチキをかばって、自白で逮捕されたばかりか、わざと露悪的にふるまうことまでして、処刑されたのか。
謎です。
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