2019年10月6日日曜日

「長血」ということば


新約聖書を読んでいて、「長血(ながち)」ということばに出会った。



ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。 
この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。 
イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。 
しかしイエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。 
女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。 
そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

(新約聖書 ルカによる福音書 八章43-48節 口語訳)





なじみのない、古めかしい印象の単語だけれど、「長血」という漢字の並びと、文脈から、女性特有の症状であることはうかがえる。

生理不順の場合もあるだろうし、子宮の病気で、出血や赤帯下が続いている場合もあるだろう。

イエス・キリストの時代にも、このような婦人病で苦しんでいた女性たちが、きっと、たくさんいたのだと思う。聖書に書かれたこの女性は、癒されて、どれほどうれしかったことかと思う。


上に引用した「口語訳」の新約聖書が出版されたのは、1954年のことだという。


1987年に出版された「新共同訳」の聖書では、ここの箇所は「出血」と訳されている。「長血」では分かりにくいということで、訳語を変えたのかもしれない。



日本の文献では、平安時代に作られた「和名類聚抄」という辞書に、「長血」の記述がある。


小品方云婦人長血[奈賀知]又有白血 
(二十巻本和名類聚抄 巻3・形体部第8・病類第40)
   国立国語研究所 二十巻本和名類聚抄[古活字版]データベースより 引用



「小品方」というのは、中国の六朝時代(222年 - 589年)に書かれた本で、日本の律令制の時代に、医学生が学ぶための書籍として定められた医学書であるらしい。古めかしいことばだとは思ったけれど、予想以上に古かった。

けれども、口語訳聖書の訳語として使われているくらいなのだから、近・現代でも用例があるだろうと思って、青空文庫を検索してみたら、折口信夫の著作に三例あるだけで、他には見当たらなかった。



昔住吉明神の后にあはしまといふお方があつて、其が白血(シラチ)・長血(ナガチ)の病気におなりになつた。それで住吉明神が其をお嫌ひになり、住吉の社の門扉にのせて、海に流したのである。かうして、其板船は紀州の加太の淡島に漂ひついた。其を里人が祀つたのが、加太の淡島明神だといふのである。此方は、自分が婦人病から不為合せな目を見られたので、不運な人々の為に悲願を立てられ、婦人の病気は此神に願をかければよい、といふ事になつてゐるのである。 
(折口信夫 「雛祭りの話」 青空文庫)


加太(紀州)の淡島明神は女体で、住吉の明神の奥様でおありなされた。処が、白血長血(シラチナガチ しらちながしなどゝもいふ)をわづらはれたので、住吉明神は穢れを嫌うて表門の扉を一枚はづして、淡島明神と神楽太鼓とを其に乗せて、前の海に流された。其扉の船が、加太に漂着したので、其女神を淡島明神と崇め奉つたのだ。其で、住吉の社では今におき、表門の扉の片方と神楽太鼓とがないと言ふ。此は淡島と蛭子とを一つにした様に思はれる。しかし或は、月読命と須佐之男命と形式に相通ずる所がある様に、淡島・蛭子が素質は一つである事を、暗示するものかも知れない。

(折口信夫 「三郷巷談」 青空文庫


昔、住吉明神の后(キサキ)にあはしまと言ふ方があつた。其方が、白血・長血の病気におなりになつたので、明神がお嫌ひになり、住吉の門の片扉にのせて、海に流された。 
(折口信夫 「偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道」 青空文庫)



三例とも、「淡島明神」の伝説について語った文章である。

折口信夫(1887年-1953年)のころの読者にとっては、「長血」は、ごく自然な日常的なことばだったのだろうか。(そしてこの「長血」の伝説、折口信夫のお気に入りだったのだろうか……)


裾にすがった女性の「長血」を治癒したイエス・キリストとは対照的に、住吉の神は、「長血」をわずらった后の穢れを嫌って、海に流してしまったのだという。日本の神々は、血の穢れに厳しい。


「長血」ということばの用例、他にもないか探してみようと思う。














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