2018年4月3日火曜日

笙野頼子「未闘病記 膠原病、『混合性結合組織病』の」(読書日記)


今回も読書日記モードです。

でも前回のような手抜きをせずに、表紙画像をちゃんと貼ります。

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好きな作家の、好きな作品なのですが、感想をとてもまとめきれずにいます。
だからとりあえず、読みながら感じたこと、考えたことを、メモしておこうと思います。


冒頭で作者が「本書はフィクションです」と書いておられるけれども、ページをめくった先にあるのは、それまで当たり前と思っていた日常に何らかの爆弾が落とされた時の現実世界の手触りで、「ああこれ知ってる、ものすごく」とつぶやきながら、最初はおそるおそる、途中からは引きずり込まれるようにして、読み進めることになりました。


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医学を知らぬひとりの人間から見える範囲を、間違っているかもしれないけれど、自分なりの過去の総括を今ここに残します。不謹慎にも見えるところは自分がいま明るくなるため、また三十年来の読者を明るくするつもりで、敢えて書きました。

笙野頼子「未闘病記――膠原病、『混合性結合組織病」の』から引用
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なんとありがたいお気持ちだろうかと思いました。

笙野頼子氏の「二百回忌」を読んだのは、この作品が三島由紀夫賞を受賞した1994年だったはずですので、私は残念ながら三十年来ではなく、約二十四年来の読者ということになります。

「二百回忌」を読み始めてすぐに夢中になり、笙野頼子氏の作品のような小説が存在するなら小説って大好きだ、とまで思ったのを、よく覚えています。

滝のように、洪水のようにこちらに流れ込んできて暴れる言葉。
言葉が何かの映像イメージを喚起するのではなく(それは私自身の想像力がヤワだからですが)、活字のままで猛烈に暴れまわる物語。圧倒されながらも、なんとか映像イメージを持とうとすると、それがまた恐ろしく豊穣で、なにもかもが歌舞伎の隈取りでもされたかのようにくっきりしていて、にもかかわらずとんでもなく壊れていて。

私にとって笙野頼子作品は、読んで巻き込まれるリアル怪異現象のような、非常に胸のすくものでした。


けれども、「二百回忌」と出会ってまもなく、それまでの人生で想像もしなかったような難病・障害の世界に呼び出され、最初は家族として、やがて当事者として、その世界にどっぷり浸かる暮らしが始まってしまいました。

本は読んでいましたが、読解するのに集中力の必要な文学作品からは遠ざかり、ハッピーエンドを約束されているライトノベルや漫画本ばかり、まるで栄養ドリンクでも飲むように、大量に読むようになりました。たぶん、誰かが幸せになるストーリーに浸ることで、現実のしんどさを忘却したかったのだろうと思います。

そんな中毒的な読書を続けるうちに、もともと悪かった目の状態を一層悪化させてしまい、紙の本、とくに文庫本のサイズの活字を長時間読むことが厳しくなってしまいました。東日本大震災で、書架の本がナイアガラの滝みたいに崩れ落ちるのを見て、「諸行無常」を痛感したことをきっかけに、自分の本を数千冊処分しました(大半はマンガとライトノベルでしたけど…)。

その後、AmazonのKindleで電子本を読むようになってからは、文字の拡大機能やバックライト機能の助けを借りながら、往年の読書量をじわじわと取り戻しつつあります。


「未闘病記 膠原病、『混合性結合組織病』の」も、Kindle版で読んでいます。


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 そう、難病である。難病になったのだ、難病、と判明した。純文学難解派、と分類される難解文学の書き手のこの私がね、それは。
 十万人に何人かの、予想困難な特定疾患。遺伝も伝染もしない個人的体験。

笙野頼子「未闘病記――膠原病、『混合性結合組織病」の』から引用
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おもわず「こちらがわにようこそ」と心のなかで興奮気味につぶやいて、いやそれはちょっとどうなのかと自分で自分をたしなめましたが、なんともいえない感慨、それもどちらかというとうれしさ寄りの…を覚えたのは事実です。

日常生活にいきなり口を開けて人の人生を丸ごと巻き込む、難病(自分の、あるいは家族の)という異界を、ほかならぬ笙野頼子氏に文章化していただけることに対する、素朴なうれしさというのが、一番近いかもしれません。

それにしても…


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 殺すかわりに書け、って学生にユってる。「悩んだら目の前のものを書け」、「書けなかったら書けない理由を書け」それと「殺すかわりに書け」。

笙野頼子「未闘病記――膠原病、『混合性結合組織病」の』から引用
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主人公の授業を取っている学生たちは、なんて幸福な若者だちだろうかと思います。

「何ものでもない」「居場所がない」「できない」自分を問答無用で責め立てる世間にあって、どうしようもない生きにくさを抱えながら文学に寄っていこうとしているときに、このように言ってくれる「先生」が教室にいたなら、どれほどの希望になることか。

まだまだ感想は尽きませんが、今回はここまでにして、また読書日記の形で書いてみようと思います。




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