で、佐川光晴「縮んだ愛」を読みました。
表紙画像を用意して貼り付けるというも面倒だから、Amazonアソシエイトのお手軽リンクをぺったんします。手抜きですみません。m(. .)m
それにしてもこれ、もうすこし垢抜けたデザインにならないものでしょうか。(T_T)
「今すぐ購入」とかの文字列いらないから、もっと表紙画像がきれいに見えるサイズに変えられるといいのに(私の知識がないだけだったらすみません)。
「縮んだ愛」を読もうと思ったきっかけは、主人公が小学校の障害児学級(いまは特別支援学級と言われています)で教える先生で、自閉症の児童が出てくる物語だと知ったからでした。
私自身が自閉症(正確には自閉傾向のある広汎性発達障害)の息子を持つ親ですので、そこは問答無用で興味を引かれるポイントとなります。
で、読んでみたのですが……
力作であるとは思うのですが、いまいち読後感がよくありません。
理由はいろいろありますけれども、主人公の先生が、どうにも魅力に欠ける人物だったのが、一番大きかったかもしれません。なにしろ大事なことから目をそらして、あきらめて逃げ続けて、お酒ばっかり飲んでいる人ですから。(~_~;)
Amazonでの紹介文に、
2002年第24回野間文芸新人賞受賞作! 障害児教育の現場から描く、注目の新しい文学。養護学級のベテラン教員である「わたし」が巻き込まれた元教え子の殺人未遂事件を、主人公の告白体で描いた力作!
とありますが、これ、だいぶ誤解を招く表現になっていると思います。
まずこの小説、「障害児教育の現場から描」いた物語ではないと思います。
主人公は確かに障害児教育の現場にいる教員ですが、彼の告白の大半は、障害児教育の現状に感じている自分自身のむなしさやあきらめの気持ち、そして妻との間の深刻な感情のすれ違い、家庭内別居事情、息子との会話のなさ、そうしたすべてのことを直視せず、ただ眺めてあきらめて酒に逃げ続けているだけの、自分の心情と言い訳ばかりです。もともとこういうタイプが大嫌いですので(個人的好み)、読んでいて、げんなりします。
彼の職場にいるはずの障害児たちは、一般論のなかで、あるいは集団としてまとめて語られるばかりで、具体的な姿はあまり見えてきません。
教育者としての自分に限界を感じて、救いがたい虚無感を抱えながらも、すべて諦めて働いているアル中寸前の教員の告白としては、極めてリアルですぐれたものになっているのかもしれませんけれども、実際に我が子を特別支援学級に通わせていたことのある親として、それを読みたいかというと、
「いらんわ」
というのが、正直なところです(切捨御免なさい)。
Amazonの内容紹介の話に戻りますが、
「元教え子の殺人未遂事件」
という書き方だと、元教え子の障害児が殺人未遂を引き起こした犯人であるかのようですけれども、元教え子は被害者であり、しかも主人公の直接の教え子でも障害児でもありません。犯人は最後まで不明です。
「縮んだ愛」に出てくる自閉症の児童は、主人公の過去の教え子の一人でしたが、普通学級の授業に参加しているときに、他の児童にひどい暴力をふるわれたことで、登校できなってしまいます。彼の出番はそれっきりで、その後の物語のメインの出来事には関わってくることがありません。消息も不明。
暴力をふるった側の児童はもともと粗暴で、根深い他害の問題がありましたが、上の事件のあと、臭い物に蓋をするかのような親の意向で、いきなり転校してしまいます。
一連のやりきれない出来事のために、暴力をふるった側の児童の(普通学級の)担任として直接かかわり、心に深手を負った女性教員は、自ら希望して養護学校(特別支援学校)へと転勤していきます。
主人公もさまざまな思いを抱きますが、児童に対しても同僚の教員に対しても、結局何もできず、傍観者の立場にあるばかりでした。
それ自体はとくに罪ではありませんし、主人公は別に悪徳教員でも問題教師でもありません。むしろ現場では、経験を積んだ「よい先生」であったはずです。
けれども彼は心の中で、自分がどんなにがんばって障害児たちを教育し、社会へと送り出したところで、どうせ、
「行き場もなくしだいに衰えていく」
だけのものだと考えています。現実にそういう実態あることを主人公はよく知っていて、その現実に太刀打ちする気力を完全に失っているのです。
こんな先生は、きっと実際に存在していることでしょう。
でも、わざわざ小説の主人公として出会いたくもなかったと思いました。
というわけで、「自閉症」についての小説を読みたいと考える方に、私は「縮んだ愛」を全くお勧めいたしません。(´・ω・`)
お勧めしにくい小説を独立したエントリーとして紹介するのもどうかと思うので、ここではこういう日記の形で書き残します。(こういう作品、今後増えそうです…)
ちなみに、「縮んだ愛」の主人公は、知的障害児たちの未来からも、こじれてしまった妻との関係からも目をそらしまくったあげく、ある殺人未遂事件の容疑者として逮捕されるという、とんでもない状況に陥ってしまいます。それは全くのとばっちりではありますが、ある意味、彼が逃げ続けた現実から大きなしっぺ返しを食らったというふうに見ることもできるものでした。
事件の被害者は、上にも書いたように、主人公の教え子の自閉症児を殴って転校してしまった、粗暴な児童でした。
彼は大人になってから主人公と再会し、どうしたわけか主人公になついて自宅に通うようになり、連れてきた友人たちも交えて、一緒に酒を飲んで過ごします。
ところがある日、主人公の留守宅の周囲をうろついている姿を目撃されたあと、何者かに殴られて脳が壊れ、意識不明の寝たきりとなってしまいます。
その日、自宅を留守にして旅に出ていた主人公には、アリバイがありませんでした。
主人公は確実に無実なのですが、ある事情のために、自分のアリバイを警察に証明しようとせず、一切を黙秘したまま有罪になろうとします。真犯人を知っているはずの被害者が意識を取り戻さないかぎり、主人公の有罪は確定するかもしれませんが、物語はその顛末を語らずに終ります。
なぜ主人公が自身のアリバイを語らず、殺人未遂の罪をかぶろうとしたかについては、彼の告白全体をよく読むと、なんとなく、想像がつくようになっています。
もしも彼が、妻との感情のすれ違いや自分の気持ちから目を背けず、しっかりと関わりを持つことをしていれば、こんな事件に巻き込まれることはありませんでした。
彼が目をそらし、無視してきたものは、あまりにもたくさんありました。
・障害児教育という自分の仕事への妻の無理解を黙認。
・結婚以来共に楽しんでいた晩酌を妻が拒否したことを黙認。
・妻が婦人病を患ったことを理由にはじまった、セックスレスを黙認。
・息子のお受験問題に対する、妻との意見の不一致を黙認。
・イスラム教に傾倒し、自室壁面をアラベスク文様で埋め尽くす一人息子を黙認。
・息子を心配するうちに自分がイスラム教徒になってしまった妻の心情を黙認。
・自宅でブルカをかぶり夫を完全無視する妻を黙認。
・妻と息子がイスラム教の巡礼の旅にでることを黙認。
最初の三つくらいは、ない話ではないと思いますが、後半になってくると、これを長年にわたって黙認し続けるほうが難しいのではないかという状況で、家庭内でブルカ姿となる妻を黙認するに至っては、もはや無関心であること自体が、暴力よりも残酷だと言いたくなります。
まあ、こういう姿の妻に話しかけにくいのはわかりますけども……
こんなことになる前になんとかしろとという話です。(´・ω・`)
もしも妻との関係がブルカで隔てられてしまうほどこじれていなければ、主人公は、夜祭りの巡回指導のあとに深酒をすることも、その場で被害者と再会することも、彼に深く関わって殺人事件の容疑者にされることも、妻と息子が巡礼の旅に出ている間にアリバイを証明できない一日を作ってしまうことも、絶対になかったはずでした。
だからといって、やってもいない殺人罪をかぶることが正しい責任の取り方であるはずもなく、おそらく主人公は、この先さらにどうしようもない状況に陥ることが予想されます。
可能性は低いかもしれませんが、脳が壊れてしまった被害者が意識を取り戻し、犯人が主人公ではないと証言すれば、主人公はアリバイのない一日について、妻にどう説明するのか。
物語の冒頭で、もともとスケベなほうの人間であるとはっきり告白していた主人公は、過去のエピソードの端々で、決して性欲が弱くはなかったことを示唆していますが、のちに殺されかけて意識不明となる青年の差入れで豚の睾丸の刺身を食べてからは「体の漲り」を取り戻したと語っています。
殺人未遂事件が起こった当日、ほんとうは何をしていたかを正直に話せば、容疑が晴れるかわりに、妻をより深く傷つけかねないと、主人公は考えたのではないかと思います。
さらに、有罪の判決を受けて刑務所に行くことが決まれば、主人公がやりきれないむなしさを感じている障害児教育の現場からの撤退が可能となります。
結局主人公は、本当の意味で現実と向き合うことから逃げ続けようとしているのでしょう。
どうせなら、主人公がどうにも逃げられなくなるところまで、全部書いてほしかったです。
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