たむらあやこ「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー」
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本書の冒頭に、作者、たむらあやこさんの言葉があります。
これは2002年から現在まで続く
ギラン・バレー症候群との闘病の回顧録である。
何かしらあなたの心に残りましたら
幸いです。
たむら あやこ拝
残りまくりました。
たとえいつかボケたとしても、本書を読んだ記憶は、脳のどこかに残る気がします。
それくらい、がっしりと心に形を残す作品でした。
「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー」を読む前にも、ギラン・バレー症候群のことは、多少は知っていたつもりでした。
免疫系の難病を持つ長女と、重度の知的障害および運動機能に若干の問題をもつ息子がいるので、神経系、免疫系に関連した病気は、他人事ではなく、いろいろと調べていたのです。
でもこの漫画を読んでみて、「多少は知っていたつもり」どころか、まるっきり、なにも分かっていなかったことを、思い知りました。
少しばかり概説やネット情報を閲覧した程度では、覆い被さるように迫ってくる巨大ガシャドクロの如き病態相手に、魂の持つエネルギーすべてを振り絞って、支えてくれる身内と共に命がけで闘うような病気であるということは、とても分かりようがなかったのです。それらは、私のちゃちな想像力を、はるかに超えていました。
この作品の表紙が、私はとても好きです。
難病に人格と姿を与えたなら、きっと、こんな風だと思いますから。
ドクロ以外にも、章ごとの表紙などに、妖怪のような奇怪なキャラが、ざらりとした冷たい手触りすら感じさせるような筆づかいで描かれていて、とても心引かれます。病気とがっぷり四つに組み続けている作者だからこそ、描ける病気たちの姿なのかなと思います。
作者は、ギラン・バレー症候群になる前も、准看護師として小児病院で働いていたとのこと。
職場である病院で発病し、そのまま病院に入院。病院づくしの作品です。
家族や自分の病気のために、なにかと病院と縁が切れることのない私にとって、親しみ深いシーンが数多く出てきました。
たとえば、准看護師だったころの作者が、仕事の要領が悪すぎて先輩にしかられ、向いていないのかと悩んでいるときに、小さな患者さんから似顔絵を貰って元気づけられるところ。
作者のおおらかでたくましくて(でもちょっと大雑把で)、そして人の心の温かさを深く知る人特有の、ひたむきな思いを語る様子が、まだ二歳だった長女の長期入院中に、実習で来ていた看護学生さんたちや、親身に世話をしてくださった准看護師さんの姿に重なりました。あれから二十年、みなさん、どうしていることか…。
病む前も、病んでからも、自らの存在で病む人を支えたい、喜んでほしいと考えるような人だった、作者。
ごくまれな難病である、ギラン・バレー症候群のなかでも、とくに重篤な、強い苦痛のある病状と戦い抜き、いまも闘っておられるという作者の心が、ぶれることなく、病を正面から見据えた上で人の心の支えとなるような表現の世界へと向かったことに、心から感謝の気持ちを贈りたいと思います。
がんばりすぎて、心身を追い込んで…そうして重篤な病気になってしまった我が子を見たご両親は、言葉にならないほどの衝撃を受けたはずです。難病は、患者となった本人だけでなく、家族や、親しい人々の人生をも一変させます。
作中で語られる、両親、親戚、友人たちの、主人公を支える力は、ほんとうに見事なものでした。
とくに主人公の父は、額の「父」の文字が「父改」になるほど心をすっかり入れ替えて、ギャンブルを完全に断ったばかりか、自宅のバリアフリー化を自分の手ですべて行ってしまうなど、理想的な難病患者の父親となっていきます。
漫画の終わりに書かれている作者の言葉は、難病であるか健康であるかに関わらず、あらゆる人に向けられたものだと思います。
最後になりますが、私が寝たきりになったとき 一番後悔したのは "もっとまわりの人を大切にすればよかった"ということでした
もし動けなくなったとき 後悔しないように 日頃からまわりに感謝し 大切にし 自分のために趣味や好きなものを見つけて 一人でも多くの方によい人生を送って欲しいと願います
病気して良いことも悪いこともあって 何でも無駄じゃなくて何でもありがたくて……そう思えるようになっただけでも 成長できたと思う 自分なりに
また明日から丁寧に ただ生きていこう
しっかりと、受け止めたい言葉です。
ギラン・バレー症候群
ウィキペディアの記事によれば、ギラン・バレー症候群の60%以上は、何らかの感染症が先行して、その後に発症するとされています。また、ワクチン接種後や、妊娠後の発症も認められるとのことです。
免疫の関連する病気への、ワクチン接種の影響というのは、これから我が子に予防接種をと考える親御さんとしては、気になるところだろうと思います。
ちなみに、私の子供のネフローゼ症候群発症は、ワクチン接種からまもなくのことでした。発症の直前には、鼻を垂らすなど、軽微な風邪の症状もありました。医師は、それらと発病との因果関係については、なんとも言えないとの意見でした。ワクチン接種の影響については、とくに気になるところですが、そういう報告例が、ほとんどなかったのでしょう。
医学的に関係があるかどうかは不明であるとしても、親として悔いが残るのは、ワクチン接種の時期を、もっと慎重に選べたのではないかということです。当時の記憶は、もうだいぶ薄れてしまっていますが、我が子の様子をより注意深く見ていたなら、軽微な風邪の兆候であっても、接種の前に見極められたかもしれない、より万全な体調で接種していれば、発症はなかったのかもしれないと、どうしても考えてしまいます。
これからワクチン接種する親御さんには、私と同じような悔いを残してほしくないと、心から思います。体調の悪いときに接種を受けるのがよくないのは当然としても(事前チェックを受けるはずです)、とくに、お子さんの近親者に自己免疫疾患の患者がいるような場合は(我が家がそうです)、体調をよくよく確認して、接種を受けたほうがよさそうに思います。
私自身は、バセドウ病という自己免疫疾患を持っていますが、発症したのは、人生で最大級の精神的ストレスを被っている最中のことでした。発症直前の体調がどうだったかは、詳細には記憶していませんが、ストレスのせいなのか何なのか、年がら年中、ゲホゲホズルズルとやっていたのは確かです。あまりに咳が続くので、子供が入院している総合病院の内科で見てもらったら、ぜんそくの可能性があると診断され、しばらく投薬治療を受けていたこともありました(その後はぜんそくの再発はありません)。
また、「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー」の作中、発症した主人公(作者)が、複視という症状も併発しています。眼球を動かす神経がうまく働かなくなって、物が二重に見える症状です。
私もこの複視の症状を持っています。
はじまったのは、最初のお産の数日後で、腕に抱いた我が子の頭が二つ見えるので、頭がおかしくなりそうでした。
その後、多少改善はしたものの、結局完治はせず、いまも視界の一部がハデに二重になっています。
「ふんばれ~」の主人公(作者)は、発症前、ひどい風邪を引いているのにもかかわらず、点滴をうちながら、無理して働き続けてしまっています。また父親のギャンブル依存症のために、幼いころから親戚のうちに預けられたり、バイトを強要されたり、望みの進路を諦めさせられたりするなど、余計な苦労をいろいろとしてきていることが、作中で描かれています。
ストレスは、どうにも回避しようのない場合もありますけれども、ストレスに極度の体調不良が重なったようなときには、無理しつづけると、巨大ガシャドクロのような病気につかまってしまうかもしれない、ということは、誰もが肝に銘じておくべきと思います。
まわりのひとだけでなく、自分のことも、大切に、丁寧に、生きていきたいものです。
(お前がそれを言うなと、石を投げられそうですが…orz)
【参考ページ】
ウィキペディアの「ギラン・バレー症候群」の記述
ギラン・バレー症候群の引き金の一つと考えられる、カンピロバクター症についての、ウィキペディアの記述
単行本発売記念番外編「フロムヘル」
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