2018年3月29日木曜日

しみず宇海「片づけられない私をみつめて」(ADHD)



しみず宇海「片づけられない私をみつめて」



講談社 Amazon Kindle版 (Kindle unlimited)
Amazon Kindle版が読み放題となっています


子どものころから「だらしない」と言われ続けた一人の女性が、混乱した生活に苦しむうちに、ADD(注意欠陥障害)という脳の問題に気づき、自分らしい人生を見つけていく物語です。


本書が出版されたのは2005年8月。
大人の発達障害について、何種類もの本が出て、世間でも少しづつ知られるようになってきた時期だったと記憶しています。



学校での苦しみ


主人公の桜坂のどかは、小学校のころから、ルールに従わない問題児とみられていました。

授業をきちんと聞くことができない。
周囲に合わせて適切な行動することができない。
時間を守れず、落ち着きがない。
なくし物が多く、机のなかはぐちゃぐちゃ。


自分ではがんばっているつもりでも、気がつけば何か失敗してしまって先生が激怒する、友達に後ろ指を指される、という学校生活が続きます。

家庭訪問での担任の先生の言葉は、のどかを一方的に非難するものでした。


「やる気がないとしか思えません。同じ分数のテストをやらせると、きのうは100点、今日は10点。そわそわして集中力がない。整理整頓もできないし……」


これを聞いて、のどかは先生が怒るのは自分のせいだと気づくのですが、何が悪いのかまではわかりません。


 なんで あたしは
 怒られてばかり
 いるんだろう


中学に入ると、のどかは成績を上げることで、周囲に一目置かれるようになりますが、不注意と片づけられないのは相変わらずで、そのことで異性に強く非難されるという経験をしてしまいます。


「女のくせに不潔だ」


のどかにとって、あまりにも強烈な言葉でした。

深く傷ついたのどかは、それ以降、外面をなんとか取り繕って「普通の女の子」らしくすることに、全神経を使うようになります。

 あたしも
 みんなと同じ
 女の子になるんだ

 必死だった

 家を一歩出ると
 すべてに気が抜けない
 その代わり
 家の中は
 いつもやりっぱなしで
 散らかした

 外での自分は
 ボロを出さないように
 とりつくろった
 ギリギリいっぱいの自分


のどかの心のなかの、そんな悲痛な思いに、周囲の誰も気づいてくれなかったのでしょう。

その後、就職を機に実家を離れますが、生活面での家族のフォローのない暮らしは、のどかにとって大きな試練となります。



職場での破綻



会社で働くようになったのどかは、能力的に劣っていると思われないために、プライベートを犠牲にして仕事に取り組むようになります。

けれどもちょっとした周囲の音にも集中力を妨げられてしまうのどかにとって、大勢の人が働く会社の環境そのものが、大変なストレスでした。

また、一つのことに集中すると、それ以外のこと手が回らなくなるので、他の社員よりも早く出勤したり残業したりして、仕事の遅れをカバーしなくてはなりません。

心身共に全力を使い果たして、なんとか「普通」を維持しようとする日々が続きます。
当然のことながら、家に帰っても家事などする余裕はなく、一人暮らしの部屋は完全な汚屋敷と化していきます。

そんな彼女ですが、人が思いつかないような斬新なアイデアをたくさん出すことができるという、すてきな「ひらめき」の才能があり、そのことが次第に職場で認められていくようになります。

それは、のどかのような発達の問題を持っている人に多く見られる特徴でもあるのですが、この時点では、彼女はそんな自分の特性に気づくことができません。また、日々のノルマに追われる暮らしでは、「ひらめき」をきちんと形にする余裕もありませんでした。


そのうちに、一生懸命働くのどかの姿に好感を抱いた課長に交際を申し込まれて、恋人としてつきあうことになります。

けれども課長は、のどかが必死で取り繕っている表面的な姿、つまり「よく出来る女子社員としての、のどか」しか見ていない人でした。それに加えて、彼はだらしないことを人一倍嫌い、物事をきちんとしておかないと気が済まないタイプだったため、のどかはますます自分の抱える問題を隠すしかありませんでした。


精神的に追い込まれながら、無理を続けたのどかは、とうとう過労で倒れてしまいます。

のどかを心配してアパートを訪れた課長は、すさまじい汚屋敷の光景を目撃して、絶句。

翌日、課長にどう思われているのかが気になって集中力を欠いたのどかは、仕事で大きなミスを出します。そんなのどかに向かって、

「だらしない暮らしをしているからだ」

と非難し、一方的に責め立る課長。

そんなとき、以前からのどかの様子を見て感じるところのあったらしい女性部長が、ADD(注意欠陥障害)の可能性があるのではないか教えてくれます。

部長自身、家事が出来ないことで離婚し、ADDの診断を受けて投薬治療を受けている人だったのです。

部長の言葉をきっかけに、のどかは生まれてはじめて、自分を混乱に陥れている状況が、努力不足のせいなどではないことを知るのでした。


その後、のどかは理解のなかった課長と別れて、等身大の自分を知った上でサポートしてくれた同僚の男性と結婚し、幸せになります。



本作品の医療監修をされたという、櫻井公子医師のメッセージが末尾にありました。

すべてのADD、ADHDをもつ方に、この物語の主人公のような症状の「すべて」があるわけではありません。さまざまなタイプの方がおられます。しかし、自分の得手不得手、特徴などを理解して、工夫したりサポートを得たりすることで、この主人公のように、自分のよいところを活かして楽しく暮らせるようになる方も多いのです。


その通りだと思います。

櫻井公子(桜井公子)医師には、

 お片づけセラピー (宝島社文庫)
 どうして私、片づけられないの?
  ―毎日が気持ちいい!「ADHDハッピーマニュアル」 (大和出版)

などの親しみやすい著作があり、私も取り寄せて読んだものでした。

また「新宿成人ADDセンター・さくらいクリニック」の院長としても知られていましたが、残念なことに。クリニックは2014年に閉院したとのことです。その後の情報は現時点では不明のようです。


現実世界の「桜坂のどか」



私(ブログ主)自身、主人公の桜坂のどかと同じ種類の問題を持っている人間ですので、マンガで描かれている出来事のいくつかが、かつての自分の体験に重なり、心の痛みを覚えました。


管理できない私物。
頻繁な忘れ物と、遅刻。
段取りを勘違いすることによる失敗。

そして、どうしても片づけられない部屋。

一晩で文庫本10冊を読むことのできる集中力があるのに、興味のない話は2分と聞いていられません。

学校の授業は、地獄のように退屈で、苦痛でした。
教科書もノートも落書きだらけ。落書きしないときは、こっそり本を読んでいました。
いま思うと、人の話を聞くのが苦手だったのでしょう。

とにかく叱られてばかりの子供時代でしたが、のどかと同じように、学校の成績は悪くなかったので、そこに自分の存在意義を求めるようになっていきました。部屋が汚くても、女の子らしくなくても、他にできることがあるからいいのだと、自分にOKを出していたわけですが、ADHD、大人の発達障害などという概念が存在しない時代でしたから、「片づけられない、きちんとしていない女の子」への世間の風当たりは、相当にきついものがありました。

大学に入ってからは、一コマ90分の講義に耐えられず、しょっちゅうサボって単位を落としまくりました。

働くようになると、のどか同様、それだけで精一杯で、家事はほとんどできず、自室の散らかり具合は筆舌に尽くしがたいものがありました。電気代や電話代を支払い忘れて、よく止められていました。

そうかと思うと、自分の好きなことには熱中して時間を忘れ、寝食も忘れ、余計に生活が崩れていくという悪循環…。


思いつきやアイデアが頻繁に浮かぶのに、それをちゃんと形に出来ないところも、のどかと私の大きな共通点です。

マンガの中では、のどかがせっかく思いついて作った企画書が、自室のゴミのなかに埋もれてしまって、本人すらその存在を忘れているというエピソードがありました。

思いついたときは夢中になっているのに、時間がたって鮮度が落ちたり、他のことしなくてはならなくなると、意識の焦点があたらなくなっていくのです。

ここのブログだって、当初の計画では今頃とっくに記事数が200を超えているはずなのに、存在が頭から雲隠れしてしまう時期がちょくちょくあるために、いまだに40記事しかないという有様(2018年3月29日現在)。


自分の問題が大人の発達障害に由来するものだと気づいてからは、桜井公子氏の著作も含めて、関連書籍を読みあさりました。

自分の特性は理解できましたが、現実的な問題は、それだけでは解決しません。

今現在も、「どうやったらこの部屋を片づけることができるのだろうか」と考えながら、主婦生活を送っています。



ADD・ADHD


マンガ「片づけられない私をみつめて」で、ADD(Attentin Deficit Disorder with and without Hyperactivity 注意欠陥障害)として取り上げられている症状は、その後、「不注意優勢型ADHD」として診断されるようになったそうです。


「発達ナビ」というサイトで、ADHDの不注意優勢型として診断される場合に見られる、具体的な症状が箇条書きにされていました。


ADD(注意欠陥障害)とは?症状やADHDとの関係性、
ADDの特性ならではの治療法をご紹介します!(発達ナビ)

https://h-navi.jp/column/article/35026504


■不注意

・よく物を失くす
・整理整頓ができない
・周囲に気が散って集中できない
・細かいところまで注意が向かない
・いつもボーっとしている

■衝動性
・思いついたことをすぐ話してしまう
・順番を待つことが苦手
・優先順位を付けることが苦手
・すぐにかっとなってしまう


ちなみに私(ブログ主)は、上記の特徴のうちの六つを持っています。(´・ω・`)


現在では、学校現場でADHDについて、だいぶ周知されるようになってきているため、のどかや私のような特徴を持つ児童生徒が、無理解な教師に一方的に罵られるというようなことは、昔よりは少なくなっていると思います。

未診断のまま問題を抱えている大人についても、もっと支援を受けやすい状況になってくれればと、願わずにはいられません。











※発達障害についての本を取り上げた他の記事

沖田 ×華・君 影草 「はざまのコドモ」 (広汎性発達障害・睡眠相遅延症候群)


2018年3月28日水曜日

小説「君色ドラマチック」(先天色覚異常)


真彩-mahya- (著) 「君色ドラマチック」  
スターツ出版   


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色覚異常を持つ女性が、アパレルメーカーでパタンナー(デザイン画をもとに型紙を作る仕事をする人)として働くうちに、恋愛と職業人としての自立の問題に直面する物語です。

主人公の杉原慧は、自分の仕事にとって大きなハンディとなる、色覚の問題を抱えています。


そう、私は生まれつき色覚に異常がある。赤い色を感じる錐体が欠けていて、青はかろうじてわかるけれど、あとはピンクなのか黄色なのか、赤なのか緑なのか、さっぱりわからない。色の濃淡はわかるけれど、色味がわからないのだ。だから、肉が生の状態の赤色から、火が通ってピンクから茶色っぽくなっていくのもわからない。 (「君色ドラマチック」から引用)

感覚のテストがない推薦入試で入学した、専門学校の服飾学科。なんとかかんとか二年に進級した私に、最大の試練が訪れた。卒業制作だ。平均四人ほどでチームを組み、デザインから縫製まで、すべてをこなして一着の作品を作る。
……のだけど、私と組んでくれる人は誰もいなかった。学校に通ううち、友達もできたはずだったんだけど……気づけばみんなさっさとグループを作っていて、私はつまはじきにされていた。しょうがないか。色がわからない私を入れたら、気を遣うし、戦力として微妙だしね。服を作ることにすべての情熱と命を懸けているような同級生たちに、私の存在は邪魔だったんだろう。
(「君色ドラマチック」から引用)



それでも慧は、色覚に左右されないパターンの技術を懸命に磨いて、才能を開花させていました。

就職でも苦戦しますが、専門学校の卒業制作でチームを組んだ結城のツテで、アパレルメーカーに採用され、事実上、結城専属のパタンナーとして働くようになります。

デザイナーとしての才能豊かな結城は、慧の恋人でもあるのですが、とても女性にモテる男性なので、職場の女性たちとのいざこざを避けるために、二人の関係は秘密にされています。

恋人としての結城との関係は淡泊で、二人でいても仕事の話ばかりしている日々ですが、慧はそれで充実していましたし、ずっとそんな日が続くと思っていたのですが…

あるとき、結城のほうから、同じ会社に所属する、櫻井というデザイナーと組むようにと勧められます。とまどいながらも櫻井の仕事を受けた慧は、結城が秘密裏に、別の女性パタンナーと仕事をしていることを知り、ショックを受けます。


一方、櫻井は、慧のパタンナーとしての能力の高さを知ると、自分の独立に合わせて慧を会社から引き抜こうとしてきます。

その際に櫻井は、慧が結城に依存した状態であることを指摘し、そままでは慧の未来は暗いと言い切ります。


さらに、結城が慧に黙って仕事を依頼していたバタンナーの、森という女性が、わざわざ慧を呼び出して、色覚異常のパタンナーがデザイナーを利することはないという暴言を吐きながら、独立したがっている結城の足を引っ張るのをやめるようにと忠告しにきます。

「色弱のあなたに、これから結城さんがステップアップしていくサポートが、じゅうぶんにできますか? いくらパターンを作るのが上手でも、それだけじゃ」


猛然とマウンティングしてくる森嬢の意図は、慧を蹴落として、仕事面でも恋愛面でも自分が結城のそばに立とうとするものだったのかもしれませんが、依存関係への負い目があった慧にとっては、結城との決別に踏み出すのに十分なきっかけとなりました。


慧は、会社から独立する櫻井の引き抜きに応じることを決めて、結城には一切相談せずに、退職届を提出しますが……




詳細は省略しますが、多少の修羅場を経て、結局、結城と慧は、相互依存の狭い世界にとらわれているのではなく、一緒にいることで豊かな色を創造していくことのできる生産的な関係である、ということでハッピーエンドとなります。



先天色覚異常


日本眼科学会のホームページの「先天色覚異常」のページに、わかりやすい説明があります。

http://www.nichigan.or.jp/public/disease/hoka_senten.jsp


小学校で義務づけられていた色覚検査が2003年度から廃止されていること、ごく一部の職業をのぞいて、就業時に色覚について問われるケースがほとんどなくなっていることなど、広く知られるべきだろうと思いました。

このページの最後の「ご両親へ」という文章を引用します。

 我が子が生涯幸せであれと願い、子孫にわずかな弱点も伝えまいとするのは人間の本能です。しかし、人間にはさまざまな能力と数々の短所があります。また、遺伝が関与する疾患や障害は数多く、誰しも何らかの遺伝子異常を持っているものです。
 色覚異常は場合により多少問題を生じることがあっても人生を脅かすほどではなく、他の能力や遺伝的障害に比べ損失はわずかです。また、遺伝というものは誰のせいでもありません。
 一部に残る色覚異常を嫌う風習は知識の不足によるところが大きく、色覚異常の遺伝をめぐる問題は、社会全体が色覚異常の色の見え方を正しく理解すればほぼ解決します。社会のつまらない誤解に悩むことのない、もっと楽しむことができる世の中にしたいものです。



この文章は、先天性の色覚異常に対する差別意識が、他の多くの障害や慢性疾患に対する差別同様、まだ社会のなかに残存していることを憂え、そのようなことがなくなるようにと願ってために書かれたものだと思われます。



先天色覚異常、いじめ・差別を受けるなら…教育の敗北 (YOMIURI ONLINE)
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160415-OYTET50017/

こちらの記事では、作曲家の團伊玖磨氏が先天色覚異常であり、そのために教育の場での差別に憤ってきたことが書かれ、

 色覚異常者は、色覚正常者とは少しだけ異なった特性を持った色感覚を持っているという考え方を学び、周囲の少しの配慮、思いやりをそこに導入させることこそ、学校教育の重要課題なのではないでしょうか。

と結ばれています。ほんとうに、その通りだと思います。

なお、記事の執筆者は、井上眼科医院名誉院長の若倉雅登氏。専門は、神経眼科、心療眼科、とのこと。上の記事を含む、「心療眼科医・若倉雅登のひとりごと」というコラムのシリーズをネットで読むことができます。




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