2019年11月8日金曜日

宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」(疱瘡・天然痘)



宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」という童話に、「疱瘡(ほうそう)」に触れた箇所があります。




 ある夏、この町の警察へ、新らしい署長さんが来ました。 
 この人は、どこか河獺(かわうそ)に似ていました。赤ひげがぴんとはねて、歯はみんな銀の入歯でした。 
署長さんは立派な金モールのついた、長い赤いマントを着て、毎日ていねいに町をみまわりました。 
 驢馬(ろば)が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤ん坊があんまり泣いていると疱瘡(ほうそう)の呪まじないを早くしないといけないとお母さんに教えました。 
宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」



疱瘡(ほうそう)は、天然痘のことで、日本では古来から、疱瘡除けのまじないをする風習があったそうです。



疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習を持つ地域も存在した。 
疱瘡を患った患者の周りには赤い品物を置き、未患の子供には赤い玩具、下着、置物を与えて疱瘡除けのまじないとする風習もあった。 
赤い物として、鯛に車を付けた「鯛車」という玩具や、猩々の人形も疱瘡神よけとして用いられた。 
疱瘡神除けに赤い物を用いるのは、疱瘡のときの赤い発疹は予後が良いということや、健康のシンボルである赤が病魔を払うという俗信に由来するほか、生き血を捧げて悪魔の怒りを解くという意味もあると考えられている 
。江戸時代には赤色だけで描いた「赤絵」と呼ばれるお守りもあり、絵柄には源為朝、鍾馗、金太郎、獅子舞、達磨など、子供の成育にかかわるものが多く描かれた。

(ウィキペディア「疱瘡神」のページから一部引用) 




「鯛車」、Amazonで売られていました。


Amazonで見る



いまは天然痘は予防接種で防ぐ時代ですから、魔除け目的ではなく、装飾品として作られているのでしょう。



「署長さん」が赤ん坊の母親に勧めたというまじないも、赤いオモチャだったかもしれません。




で、この「毒もみのすきな署長さん」は、このあと、とんでもない話になります。


「署長さん」たちの住むプハラの国には、狩猟や漁業について、奇妙な決まりがありました。


さてこの国の第一条の 
「火薬を使って鳥をとってはなりません、
 毒もみをして魚をとってはなりません。」
  
というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教 えます。
 山椒(さんしょう)の皮を春の午(うま)の日の暗夜(やみよ)に剥(む)いて土用を二回かけて乾(かわ)かしうすでよくつく、その目方一貫匁(かんめ)を天気のいい日にもみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。
  
そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。

宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」


この「毒もみ」という漁法は、実際に東北地方で行われていたことがあるそうです。



主に歴史上における狩猟採集社会において用いられた。水の中に毒を撒き、魚を麻痺させたり水中の酸素含有量を減らすことで、魚を簡単に手で捕まえることが出来るようになる。 
かつては世界中で行われており、その土地にある固有の有毒植物が使われていたが、日本では主に山椒が使われていた。川の中で山椒の入った袋を揉んで毒の成分を出すので「毒もみ」と呼ぶ(山椒の皮に含まれるサンショオールには麻痺成分がある)。日本では1951年施行の水産資源保護法第六条で、調査研究のため農林水産大臣の許可を得た場合を除いて禁止されている。 
現代では主に東南アジアで青酸カリを撒く漁法が行われており、これは環境に著しい負荷を与え、特にサンゴ礁を破壊することで問題となっている。 
(ウィキペデア「毒もみ」のページから一部引用)


私、山椒が好きなんですけど、山椒の、あのピリッとした辛さが、この記事のなかに出てくる、サンショオールという、麻痺作用のある成分なんだそうです。


少量であれば問題はないでしょうけれど、魚が大量に死ぬほどの量を水場にばらまいてしまっては、当然弊害も多いはずで、禁止されるのも当然でしょう。


プハラの国では、「毒もみ」は、処刑されるほどの重罪でした。

ところが、魚たちが豊かに泳いでいた河原の沼地から、魚が消えてしまい、町の人々は、毒もみをする人間が現れたのだろうと噂をします。

「署長さん」や巡査たちも、犯人逮捕のために河原の沼地を見張っていたようですが、やがて、町の子どもたちが、「署長さん」の挙動がおかしいことに気づきます。


最初のころは、犯人らしき人物を取り押さえようとしていたようだったのに、いつのまにか、「署長さん」が、粉にした木の皮や、毒もみにつかう灰を購入している姿が目撃されて、これはどうしたって「署長さん」が犯人ではないかということになってしまいました。


プハラの町長さんが、町を代表して「署長さん」に事情を聴きにいくと、「署長さん」は、あっけなく自白して、自ら逮捕され、進んで斬首されてしまいます。


 さて署長さんは縛しばられて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。 
 いよいよ巨(おお)きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。 
「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」 
 みんなはすっかり感服しました。
    宮沢賢治「毒もみのすきな署長さん」


町の人々に親切だった「署長さん」の、あまりにも衝撃的な最期です。

彼は、ほんとうに犯罪者だったのでしょうか。
とてもそうとは思えません。

ということは、誰かをかばって、罪を背負って処刑されたのでしょうか。

でも、そうだとすると、いったい、誰をかばったのか。

それらしい人物は、物語のなかには出てきていません。


ただ、この物語には、「署長さん」の事件とは、直接かかわらないにもかかわらず、冒頭から妙に存在感のある、「下手な床屋のリチキ」という人物が登場しています。

リチキは、河原の沼地にチョウザメが泳いでいるのを見たと言い広めたのですが、チョウザメなんか見つからなかったため、町中の人々に軽蔑されていました。

さらに、毒もみの詳しい手法について、この物語は、リチキが教えたこととして説明しているのです。

その上、リチキは、仕事があまりにもヒマだというので、「署長さん」が毒もみで魚を獲って儲けた場合の収支計算表、なんてものまで書いています。


犯人は、リチキだったのか。

「署長さん」は、リチキをかばって、自白で逮捕されたばかりか、わざと露悪的にふるまうことまでして、処刑されたのか。



謎です。



Amazonで見る







2019年10月31日木曜日

直木三十五のひどい伝記と、あまりにもたくさんの病気 



直木賞は知っていても、賞の由来である、直木三十五の作品を一つも読んだことがなかったし、そもそもどんな作品があるのかも、全く知らなかった。

青空文庫に直木作品がいくつか入っているので、「死までを語る」(青空文庫)という作品を、ダウンロードして、読み始めてみた。



Amazonで見る




 全く私は、頭と、手足とを覗く外、胴のことごとくに、病菌が生活している。肺結核、カリエス、坐骨神経痛、痔と----痔だけは、癒ったが、神経痛の為、立居も不自由である。カリエスは、大した事がなく、注射で、癒るらしいが、肺と、神経痛は、頑強で、私は時々、倶楽部の三階の自分の部屋へ、這うて上る事がある。 
 私が、平素の如く、健康人の如く、歩き、書き、起きしているから、大した事であるまいと、人々は見ているらしいが、五尺五寸の身長で、十一貫百まで、痩せたのだから、相当の状態らしい。 
 そして、何の療養もせず、注射をしているだけであるから、或は、この賢明なる青年たちが、見通した如く、私は、来年の何月かに、死ぬかもしれない。 
 ただ、齢が齢故、病状の進行が遅いし、意地張りで、こんな病気位と、大して気にも止めていないから、大変、青年たちは見込み外れをするかもしれないが、それは、今の所、何っちとも云えないであろうと思う。 
(直木三十五「死までを語る」青空文庫)


なんだか、病気の見本市みたいな人である。


文中の「この賢明なる青年たち」というのは、直木三十五にこの文章を依頼した出版社の編集者たちのことである。

直木は彼らの思惑について、次のように類推している。


私は、今年四十二年六ヵ月だから「全半生」と同一年月、後半生も生き長らえるものなら、私は八十五歳まで死なぬ事にな。これはたぶん、編輯局で、青年達が

「直木も、そう長くは無いらしいから、今の内に、前半生記みたいなものを、書かしては何うだろう」

 と、云って、決まった事にちがいない。そして、大草実は 
(長くて一年位しか保つまいから、丁度、これの終る頃くたばる事になると、編輯価値が素敵だ)

 と、考えたのであろう。 
(直木三十五「死までを語る」青空文庫)




ブラックジョークなのか、本気の皮肉なのか、よくわからない。


書かれた青年編集者たちは、冷や汗をかいたのじゃなかろうかと思うけれども、こういうやりとりが平気なほど、親しい間柄だったのかもしれない。


一体どんな人生を歩んだ人だったのだろうと思って、「死までを語る」の冒頭だけ読んだところで、ウィキペディアの「直木三十五」のページを読んでみた。


ひどかった。


1925年(大正14年)、マキノ・プロダクション主催のマキノ省三家に居候する。マキノ省三に取り入って、映画制作集団「聯合映畫藝術家協會」を結成。映画製作にのめりこむ。 
1927年(昭和2年)、マキノに出資させて製作した映画群が尽く赤字に終わり、「キネマ界児戯に類す」(映画など子供の遊びだ)と捨て台詞を吐いて映画界から撤退。同年、マキノプロの大作『忠魂義烈 ・實録忠臣蔵』の編集中に失火しマキノ邸が全焼すると、火事場見舞いに訪れた直木はマキノから小遣いを貰ったうえ、「マキノはこれで潰れる」と喧伝。これがマキノのスタア大量脱退の一因となる。 


ここだけ読んだら、まるで、恩人にたかる疫病神である。

マキノ省三の息子である、マキノ雅弘は、自宅に居候して金をたかる直木三十五について、次のように語っているという。


このころ直木は朝から晩まで着物をぞろりとひっかけるように着て、マキノ雅弘をつかまえると「おい、マサ公」と決まって用をいいつけた。金もないのに「スリーキャッスル(煙草)を買ってこい」といい、「おっさん、金がない」と答えると「盗んで来いッ!」と怒鳴るような人物だった。マキノ雅弘は「生意気ながら、早稲田大学中退程度で大した人だとは思わなかった」と語っている。 
(中略)

「直木賞ができたときには何やこれと首をかしげた、直木三十三から三十五になってもついに彼の名作らしいものを全く知らなかった愚かな私は現在も続いている直木賞に、いったいどんな値打ちがあるのかと首をかしげずにはいられないのである」としている。  

ものすごく嫌われている。

同時代の人でさえ、直木三十五の「名作」を知らなかったというのも、すごい話だ。


作家としての活動にも、だいぶケチがついている。

代表作となったのは、お由羅騒動を描いた『南国太平記』である。これは三田村鳶魚が調べて発表したのを元ネタにしたため三田村が怒り、『大衆文藝評判記』を書いて歴史小説・時代小説家らの無知を批判した。そのため海音寺潮五郎、司馬遼太郎、永井路子など(いずれも直木賞受賞)の本格的歴史作家が育った。 

代表作が他人の業績のパクリで、しかも、そのパクリ行動を反面教師として、良質な作家が育ったというのだから、人間性のダメさ加減が突き抜けている。


でも、きっと、「南国太平記」は面白い作品なのだろう。
青空文庫版があるので、そのうち読んでみようと思う。


この「死までを語る」が、文芸春秋社の「話」という雑誌に発表されたのは、1933(昭和8)年から1934(昭和9)だったようだ。

その1934年(昭和9年)に、直木三十五は、 結核性脳膜炎で亡くなっている。


「長くて一年位しか保つまいから」と自分で書いたことが、現実になったことになる。









2019年10月30日水曜日

王子様と言語療法士の恋 (言語障害)




「エーゲ海のプリンス」
 冬木 るりか (著), レベッカ・ウインターズ(原作)
 出版社 ハーレクイン


Amazonで見る

あらすじ



スピーチセラピストである、ドロシー・リチャーズは、ゾーイという四歳の少女の検査のために、エーゲ海に浮かぶ島国を訪れます。


ゾーイはヘレニカ王国のアレクシウス王子の娘で、身体的には健康でしたが、他人とかかわることを嫌って、頻繁にカンシャクを頻繁に起こし、幼稚園にも通えなくなっていました。

また、ゾーイには言葉の遅れもあり、家族である王子と祖母としかコミュニケーションがとれない状態でした。


ドロシーは、ゾーイの日常の様子を聞いてすぐに、彼女が強い不安を抱えていることを見抜きます。そして、まず、耳鼻科での検査と、耳掃除を勧めます。

鼓膜にこびりついてた大量の耳あかを取り除いてから検査をしたところ、ゾーイの聴覚には問題がないことがわかります。耳掃除のあと、ゾーイは音がすっきり聞こえるようになったためか、表情が生き生きとしはじめたと、王子はドロシーに報告します。


その翌日から、ドロシーは、王家のお城でゾーイと過ごしながら、言語能力の検査を開始します。


キャッチボール。
なわとび。
絵カードを見せながらの、単語の発音。


それまで、ナニーや家庭教師を寄せ付けず、カンシャクばかりおこしていたゾーイを、ドロシーは一瞬で魅了し、遊びに引き込みます。

ドロシーは、ゾーイが苦手な子音をきれいに子発音できたご褒美に、かわいいお人形と、小さな家具を用意していました。


検査の結果、ドロシーは、ゾーイには知的な遅れはなく、発音の問題も必ず克服できるだろうと判断し、王子にそう伝えます。ゾーイの将来を心配していた王子は、心から喜びます。


ドロシーにすっかりなついたゾーイが、彼女をママと呼び始めるのに、時間はかかりませんでした。

わが子への細やかな気遣いと愛情を目の当たりにしたアレクシウス王子も、ドロシーに惹かれていきます。


ゾーイの実の母はすでに病死していて、アレクシウス王子には、他国の姫との再婚話が持ち上がっていました。

ゾーイはそれが不満で、ドロシーにママになってほしいと願い、アレクシウス王子もドロシーに結婚を申し込むのですが、他国の王族との婚姻という踏み出す勇気を持てなかったドロシーは、断ってしまい……


そのあとのあらすじは省略しますが、ヘレニカ王国を揺るがす大騒動が持ち上がり、どさくさの中で王子とドロシーの結婚が決まり、ハッピーエンドとなります。




耳鼻科と言語療法



私の息子も言葉の遅れがあり、幼児期に言語療法士のお世話になっていたことがあるので、作品を読みながら、当時のことをいろいろ思い出しました。

ゾーイのように、耳鼻科で検査を受けさせたこともありました。

耳あかが大量に取れて、聴覚能力にも異常なしというところまで、ゾーイと同じでしたが、息子の場合は、知的な発達障害がとっても重かったため、ドロシーの行ったような方法では、言葉の遅れを挽回することはできませんでした。

けれども、たくさんのオモチャや、体を大きく動かすための遊具などのそろった、広いプレイルームで、難しい状態の息子相手に、あの手この手で注意を引きながら、遊んでくれた先生の姿が、輝いて見えたものでした。

なので、アレクシウス王子の気持ちは、ちょっとわかるように思います。









2019年10月23日水曜日

読書メモ…ハーレクインに出てくる病気や障害(口唇裂)



ハーレクインロマンスというジャンルの恋愛小説には、病気や障害を持った人物が、よく登場します。

テーマは恋愛でも、ハッピーエンドがお約束の夢物語というだけでなく、社会性を持った物語になっていることが多いので、たくさん読んでいると、結構勉強になったりもします。

といっても、私がよく読むのは、原作小説ではなく、もっぱらコミックのほうなのですが。

(ハーレクインコミックスは、kindle版が安価だったり、読み放題だったりするのです)


今日読んでいたのは、イタリアのシチリア島の小さな村に、医師として移住する女性のお話でした。



三浦浩子・ルーシー・ゴードン「愛のプローグ」 Amazonで見る





主人公のアンジーは、ロンドンの裕福な医師の娘ですが、シチリア島でベルナルドという男性と知り合い、恋愛関係になります。

二人の仲は、家族愛の強いシチリアの人々に喜ばれて、近い将来の結婚を強く期待されます。


ところがベルナルドは、アンジーが裕福な家の出身だと知ったとたん、自分がいずれ捨てられると思い込んで、いじけてしまい、アンジーをロンドンに冷たく追い返そうとします。

ベルナルドを諦めきれないアンジーは、財力をと人脈を使って彼の住む町の病院を買い取り、医師として強引に赴任してきます。


裕福さを武器に、最新の医療機器を取りそろえ、病院まで来ることのできない山奥の人々を往診し、予防接種を普及させて感染症を防ぐなど、地域医療ために、献身的に働きます。


アンジーの往診先には、妊婦もいましたが、上の娘のエッラが口唇裂を持って生まれていたため、人目に触れないように隠して育てており、次に生まれる子も同じ障害があるのではないかと、気に病んでいました。その母親に、アンジーは、こう説明します。


「口唇裂は先天性だけど、遺伝の要素は少ないの。今のところはいろんな要素が偶然重なって生まれると言われてるわ。だから、今は安心して出産に臨むことが肝心よ」


その後、家族や町の人々の強力な後押しによって、よりを戻したアンジーとベルナルドの結婚式で、エッラは花嫁の付き添い役に選ばれていました。



ベルナルドがあまりにも不甲斐なかったので、恋愛のお話としてはイマイチでしたが、アンジーの男前な活躍が印象に残る漫画でした。










2019年10月22日火曜日

若林美樹「ちょっと美人ドクター?」(アナフィラキシーショック)


私事になるが、もうすぐ、重度の障害を持つ息子が、全身麻酔での歯科治療を受ける予定がある。


これまでに何度も受けている手術であるし、いままでは全く無事に終了している。
でも、何度受けても、心配なのは変わらない。


歯科治療であっても、全身麻酔で、呼吸もとめて、四時間ほどもかかるのである。


手術の事前検査では、麻酔医も来てくれて、家族とも面談する。


いろいろと緊張するけれども、スタッフとの信頼感を確かめる大切な機会でもある。



最近読んでいる漫画に、麻酔医と手術についてのエピソードがあったので、紹介したい。




若林美樹「ちょっと美人ドクター?」 Amazonで見る



Amazonで見る




いまとても気に入っている、医療マンガである。


医師一家の末っ子である主人公、新條奈穂が、研修医として所属する病院で、指導医や看護師、患者たちに猛烈にしごかれ、医者魂を磨いていく物語。

その奈穂のキャラクターが、実に豪快で、まっすぐで、患者を救おうという熱い思いにあふれている。周囲の医師や看護師たちも、人間味があって、職業意識も高く、すばらしい。


こんな病院ばかりならいいのになあ、と思いながら読んでいる。



最終巻である七巻目に収録されている、第32話「麻酔科研修」では、歯科治療での麻酔でアナフィラキシーショックになった経験のある患者が登場する。


その患者、多田さんは、胃がんのため、胃の全摘手術を控えているのだけど、麻酔についての医師の説明を拒否。手術を受ける意志はあるものの、麻酔医に対しては、あからさまな不信感を見せる。

麻酔科で研修中の奈穂は、多田さんとなんとか心を通わせて、信頼を得ようと、病床に日参して、必死に食い下がるものの、全く話を聞いてもらえない。


けれども、手術直前になって、自分の大人げなさを恥ずかしく思った多田さんは、たまたま遭遇した奈穂に、歯科治療での経緯を語るのだけど、そのときの恐怖や怒りがフラッシュバックして、呼吸困難に陥ってしまう。


親知らずの抜糸のための麻酔を入れたとき、多田さんはすぐに体調が悪くなり、そのことを歯科医に伝えたのに、無視されていたのである。しかもその若い司会は、意識を失いつつある多田さんに、うろたえて声をかけるばかりで、救命のための措置をすぐには取れなかった。


そういう経緯や、自分の気持ちを、多田さんは、それまで誰にも話さず、自分のなかに封じ込めていたのだった。



フラッシュバックによる呼吸困難のために、胃の手術は延期となったものの、奈穂に心のうちを話したことで、多田さんは、気持ちがラクになり、医師を信頼して手術を迎えることができた。


そのときの、奈穂のセリフが、ほんとうに小気味よくて、ステキだった。



たとえオペ中、多田さんの
心臓が止まろーが
呼吸が止まろーが
大っっっ出血!!
ブチかまそーが!!
われわれは総力をあげて!
多田さんを助けるべく
手だてを尽くします!

まあちょっと、血の気が多すぎる感じではあるけれど……


外科のお医者さんって、私がこれまで出会った方々を思い出しても、なんだか大工の棟梁みたいなイメージの方が多かったので、きっと奈穂も、いい医師に育つだろうと思う。














2019年10月21日月曜日

福本千夏「千夏ちゃんが行く」


まだ読んでいる途中の本だけど、あまりにも胸打たれたので、備忘録もかねて書いておく。




福本千夏 「千夏ちゃんが行く」 飛鳥新社




 


















Amazonで探す

(Amazon読み放題で読むことができます)


どの段落、どの一文も、手裏剣のように、こちらの胸に飛び込んでくる。



冒頭、著者ははっきりと書いている。


「本書は、がんばる障害者の幸福な物語ではない」


脳性まひという、自分の中の別人と戦いながら、大学を出て、結婚し、息子を育て、最愛の夫を癌で失い、過酷な看病で傷んだ体を抱えながら、慟哭の日々を送る・・・


その壮絶な日々をつづる文章が、あまりにも魅力的であることに、ただただ驚きながら、読んでいる。



YouTubeに本書のPVがあった。











タイピングのスピードが、この作品の文体にぴったりに思えて、うれしくなる。




もうすぐ、次の著書が出版されるらしい。

「障害マストゴーオン」というタイトルとのこと。


クイーンの「The Show Must Go On」意識した命名だろうか。














2019年10月10日木曜日

燃える胸の火(樋口一葉「闇桜」「樋口一葉日記」)


樋口一葉の「闇桜」という小説は、幼なじみへの恋心を自覚した少女が、その思いのために病気になり、衰弱して死んでしまうという物語だ。

失恋したわけでもなければ、周囲に反対されたわけでもない。

ただただ、思い焦がれて自滅するという、致死的な恋の病である。


中村千代と園田良之助は、家が隣同士で、兄妹のように親しく育った仲だった。

千代が十六歳になり、近所でも評判の美女と噂されるほどになっても、二人の仲はままごと遊びのころから変わらず、無邪気なものだった。

ところが、ある日、二人が連れ立って歩いているところを、千代の学友たちに見つかり、良之助の前で揶揄されてしまう。

中村さんと唐突(だしぬけ)に背中をたたかれてオヤと振り返へれば束髪の一群(ひとむれ)何と見てかおむつましいことと無遠慮の一言たれが花の唇をもれし詞(ことば)か跡は同音の笑ひ声夜風に残して走り行くを千代ちやん彼(あれ)は何だ学校の御朋友(ともだち)か随分乱暴な連中だなアとあきれて見送る良之助より低頭(うつむ)くお千代は赧然(はなじろ)めり
(樋口一葉「闇桜」)

ほとんど古文なので、現代語訳してみる。


------------------------------------- 


「ナカムラさーん」

いきなり背中をバシッとたたかれた千代が、驚いて振り向くと、クラスメートの数人が、ニヤニヤしながらこちらを見ている。

「カレシいたんだ。ヤケるぅ」
「ウケるー」

それだけ言うと、キャハハハハと品のない笑い声を響かせながら、走って行ってしまった。

「何だあれ。千代ちゃんの学校の友達? ずいぶん軽い連中だな」

と、良之助があきれ顔で見送る横で、千代はうつむいて、恥ずかしさに耐えていた。


------------------------------------- 


この日から、千代は、まともに眠ることができなくなる。



涙しなくばと云ひけんから衣胸のあたりの燃ゆべく覚えて夜はすがらに眠られず思に疲れてとろとろとすれば夢にも見ゆる其人の面影優しき手に背(そびら)を撫でつつ何を思ひ給ふぞとさしのぞかれ君様ゆゑと口元まで現の折の心ならひにいひも出でずしてうつむけば隠し給ふは隔てがまし大方は見て知りぬ誰れゆゑの恋ぞうら山しと憎くや知らず顔のかこち事余の人恋ふるほどならば思ひに身の痩せもせじ御覧ぜよやとさし出す手を軽く押へてにこやかにさらば誰をと問はるるに答えんとすれば 暁の鐘枕にひびきて覚むる外なき思ひ寝の夢鳥がねつらきはきぬぎぬの空のみかは惜しかりし名残に心地常ならず今朝は何とせしぞ顔色わろしと尋ぬる母はその事さらに知るべきならねど
(樋口一葉「闇桜」)



まるっきり古文なので、こちらも現代語訳を試みる。



------------------------------------- 


「君恋ふる涙しなくは唐衣むねのあたりは色燃えなまし」


報われることのない恋のために流す、この涙が胸を濡らしていなければ、私の胸は、恋の炎で燃え上がってしまっているにちがいない……


古今和歌集の紀貫之の歌そのままに、千代は胸が燃えるような苦しみのために、夜の間ずっと眠れずにいた。

疲れ切って、やっとうとうとしたかと思うと、夢の中にまで良之助が現れて、やさしく背中をなでてくれる。そのやさしさが、つらくてたまらない。

「ねえ千代ちゃん、何を悩んでるの?」

あなたが好きすぎてつらいと、まさか口に出すこともできず、うつむいていると、

「秘密主義か。よそよそしいなあ。でも、見ていればわかるよ。好きな男ができたんだろ? 千代ちゃんも、隅に置けないな。相手、誰だよ」

「ちがうってば。ただの恋煩いくらいで、こんなに痩せるはずないでしょ」

そう言いながら千代が差し出す手に、そっと触れて、ほほえみながら良之助は重ねて聞いてくる。

「だから誰? 俺の知ってるヤツかな」

もう告白してしまおうかと、千代が口を開こうとしたとたん、夜明けを告げる鐘が響き渡って、目がさめてしまう。

現実の逢瀬の後でもないのに、消えてしまった夢のなかの良之助が恋しくて、千代はすっかり体調を崩してしまった。事情を知らない母が、

「どうしたの? 今朝はずいぶん顔色が悪いけれど」

と心配して声をかけてくるけど……


------------------------------------- 


千代には、良之助のなかに、自分の思いに釣り合うほどの恋愛感情がないことがわかっている。

良之助にとっての千代は、ただの幼なじみであり、かわいい妹でしかなかった。

もうすこし月日がたてば、良之助も、千代を一人の女性として、恋愛や結婚の相手として見る日が来たかもしれない。


けれども、未来に希望を抱いて待つことができるほど、千代の心身は丈夫ではなかった。


睡眠障害と抑うつから回復することのないまま、衰弱しきった千代は、危篤状態になる。

容態が急変する前日、千代の家の者から事情を聴いて、はじめて千代の思いを知った良之助は、自分のせいで千代が死につつあることに衝撃を受け、もう少し早く知っていれば、こんなふうにはさせなかったのにと、深く悔やむ。




樋口一葉が「闇桜」を書いたのは、1892年(明治25年)。

半井桃水に師事し、恋愛関係であるとしてスキャンダルになったのも、そのころだ。


樋口一葉の日記に、半井桃水との交流や、桃水への一葉の思いが書かれているというので、国会図書館のデジタルデータを探し出して、少し読んでみた。以下は、ざざっと書き写したもの。


------------------------------------- 

廿七日 全約の小説稿成しをもて桃水ぬしにおもむく。今日は我例刻より遅かりしをもて、君既におはしき。種々(くさぐさ)我爲(わがため)よかれのものがたりども聞こえしらせ給ふ。帰宅し侍らんとする時に、いましばし待給へ、君に参らせんとて今料理させおくものの侍ればとまめやかにの給ふを、例のあらくもいろひかねて其ままとどまる。やがて料理は出来ぬ、こは朝せん元山(げんざん)の鶴なりとなり。さる遠方のものと聞くにこと更にめでたし。たふべ終れば君いでや帰り給へよ、あまりくらく成やし侍らんなど聞こえ給ひて、今日もみ車たまはりぬ。かえりしは七時。


(「一葉日記集」上巻  国立国会図書館デジタルコレクション)

------------------------------------- 


言うまでもなく、猛烈に古文なので、現代語訳を試みる。


------------------------------------- 


27日、以前からお約束していた小説の原稿ができたので、桃水さまのお宅を訪問する。

今日はいつもよりも遅い時間の訪問となってしまったので、桃水さまは、すでにご帰宅されていた。

桃水さまは、私のためになるようにと、いろいろなお話を聞かせてくださった。

お話の区切りのいいところで、そろそろお暇させていただこうと思ったところ、桃水さまがおっしゃった。

「もうちょっと、帰らないでいてくれるかな。あなたに食べさせたくて、いま料理させているものがあるから」

と、やさしいお志のこもった言葉で引き留められたので、強くお断りすることもできず、そのまま居続けることに。

そのうち料理ができて、運ばれてきた。

「これはね、朝鮮の元山というところでとれた、鶴なんだ」

そんな遠いところ珍しいものを、私のために用意して、ごちそうしてくださるのかと思うと、なおさら心ときめいてしまう。


「食べ終わったかい? それなら、遅くならないうちに、お帰りなさい。あまり暗くなってしまっては、物騒だからね」

桃水さまは、そうおっしゃって、今日も車を呼んでくださった。帰宅したのは夜七時。


------------------------------------- 

半井桃水さん、ほんとうに親切で、細やかな男性だったようである。


そのやさしさの性質は、「闇桜」の良之助に通じるものがあるように思える。


半井桃水と一葉との交際は、スキャンダルになり、周囲に強く反対されたことで、破局を迎えたという。


「闇桜」の千代の思いが、作者自身の思いに重なるものだったかどうかは、私にはわからない。

その4年後の 1896年(明治29年)、一葉は、肺結核のために、24歳で亡くなっている。










2019年10月6日日曜日

「長血」ということば


新約聖書を読んでいて、「長血(ながち)」ということばに出会った。



ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。 
この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。 
イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。 
しかしイエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。 
女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。 
そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

(新約聖書 ルカによる福音書 八章43-48節 口語訳)





なじみのない、古めかしい印象の単語だけれど、「長血」という漢字の並びと、文脈から、女性特有の症状であることはうかがえる。

生理不順の場合もあるだろうし、子宮の病気で、出血や赤帯下が続いている場合もあるだろう。

イエス・キリストの時代にも、このような婦人病で苦しんでいた女性たちが、きっと、たくさんいたのだと思う。聖書に書かれたこの女性は、癒されて、どれほどうれしかったことかと思う。


上に引用した「口語訳」の新約聖書が出版されたのは、1954年のことだという。


1987年に出版された「新共同訳」の聖書では、ここの箇所は「出血」と訳されている。「長血」では分かりにくいということで、訳語を変えたのかもしれない。



日本の文献では、平安時代に作られた「和名類聚抄」という辞書に、「長血」の記述がある。


小品方云婦人長血[奈賀知]又有白血 
(二十巻本和名類聚抄 巻3・形体部第8・病類第40)
   国立国語研究所 二十巻本和名類聚抄[古活字版]データベースより 引用



「小品方」というのは、中国の六朝時代(222年 - 589年)に書かれた本で、日本の律令制の時代に、医学生が学ぶための書籍として定められた医学書であるらしい。古めかしいことばだとは思ったけれど、予想以上に古かった。

けれども、口語訳聖書の訳語として使われているくらいなのだから、近・現代でも用例があるだろうと思って、青空文庫を検索してみたら、折口信夫の著作に三例あるだけで、他には見当たらなかった。



昔住吉明神の后にあはしまといふお方があつて、其が白血(シラチ)・長血(ナガチ)の病気におなりになつた。それで住吉明神が其をお嫌ひになり、住吉の社の門扉にのせて、海に流したのである。かうして、其板船は紀州の加太の淡島に漂ひついた。其を里人が祀つたのが、加太の淡島明神だといふのである。此方は、自分が婦人病から不為合せな目を見られたので、不運な人々の為に悲願を立てられ、婦人の病気は此神に願をかければよい、といふ事になつてゐるのである。 
(折口信夫 「雛祭りの話」 青空文庫)


加太(紀州)の淡島明神は女体で、住吉の明神の奥様でおありなされた。処が、白血長血(シラチナガチ しらちながしなどゝもいふ)をわづらはれたので、住吉明神は穢れを嫌うて表門の扉を一枚はづして、淡島明神と神楽太鼓とを其に乗せて、前の海に流された。其扉の船が、加太に漂着したので、其女神を淡島明神と崇め奉つたのだ。其で、住吉の社では今におき、表門の扉の片方と神楽太鼓とがないと言ふ。此は淡島と蛭子とを一つにした様に思はれる。しかし或は、月読命と須佐之男命と形式に相通ずる所がある様に、淡島・蛭子が素質は一つである事を、暗示するものかも知れない。

(折口信夫 「三郷巷談」 青空文庫


昔、住吉明神の后(キサキ)にあはしまと言ふ方があつた。其方が、白血・長血の病気におなりになつたので、明神がお嫌ひになり、住吉の門の片扉にのせて、海に流された。 
(折口信夫 「偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道」 青空文庫)



三例とも、「淡島明神」の伝説について語った文章である。

折口信夫(1887年-1953年)のころの読者にとっては、「長血」は、ごく自然な日常的なことばだったのだろうか。(そしてこの「長血」の伝説、折口信夫のお気に入りだったのだろうか……)


裾にすがった女性の「長血」を治癒したイエス・キリストとは対照的に、住吉の神は、「長血」をわずらった后の穢れを嫌って、海に流してしまったのだという。日本の神々は、血の穢れに厳しい。


「長血」ということばの用例、他にもないか探してみようと思う。














2019年10月5日土曜日

読書メモ……池内紀「自伝的万葉の旅」  (まだら認知症)



思いがけない本のなかで、認知症に出会った。




僧侶の叔父は東大寺の役僧街道をのぼりつめ、二期管長をつとめ、大仏殿大修理の大業をやっとのけた。長老に退いてから急速に衰えがあったものと思われる。書画に秀でた高僧ということで芸術雑誌が特集を組むことになり、たのまれて伯父・甥対談を引き受けた。久しぶりに対面した甥に伯父は言った。 
「お母ちゃん、元気か?」 
何十年も前に死んだ妹である。唖然として、まじまじと顔を見た。唇をつき出して、いたずら小僧のようにタバコをすっている。そのうち判明したが、現状に即したことと、ずっと昔とが、バラバラにつながっている。俗にいう「まだらボケ」で、録音をとって帰った編集長が悲鳴のような声で支離滅裂を知らせてきた。 
「心配いりません」 
 甥は実物にかまわず、健在なころの伯父を再現して、インタビューをまとめた。やがて伯父は体面を損なわないうちにシセツに入り、五年して死んだ。


池内紀 「自伝的万葉の旅」 角川新書 『万葉集の詩性(ポエジー)』






認知症というと、アルツハイマーをすぐに思い浮かべるけれども、「まだらボケ」と言われる認知症は、アルツハイマー型ではなく、脳梗塞などの血管性の病気に由来するものであると、あちらこちらの医療・介護系のサイトで説明されている。


アルツハイマー型では、さまざまな症状が緩やかに進んでいくけれど、血管性認知症では、何かがふとできなくなったかと思うと、少しあとには以前通りにできたりするのだそうだ。


また、血管性認知症では、記憶の不具合による支離滅裂さはあっても、その人らしさは大きく損なわれず、若いころと変わらない理解力や、知的な鋭さは残るのだという。

そんなふうに、能力の衰え方、損なわれ方が「まだら」だから、そういう呼び名が付いたのだろう。

もっとも、アルツハイマー型に血管性認知症が併発することもあるそうだから、すっぱりと症状が分かれるというものでもないのだろう。


池内紀氏の伯父が、どちらのタイプだったかは、この文章だけでは分からない。



東大寺大仏殿の昭和の大修理を行った管長は、清水公照という方だそうだ。


NHK人物録 清水公照

ウィキペディア 清水公照



書画が見てみたいと思って探したら、ヤフオクにたくさん出品されていて、まるで美術館の特別展のような様相を呈していた。




引用した文章のなかで、気になった表現がある。


「やがて伯父は体面を損なわないうちにシセツに入り」


「施設」ではなく「シセツ」とカタカナ表記する理由は、なんだろう。


直前の「体面を損なわないうちに」ということばのせいで、どうもなんというか、不都合なものに覆いをするための仕組み、のような意味合いが感じられてしまう。


こういうところで差別意識を指摘するような言葉狩りがしたいわけではないし、池内紀氏のコトバ使いに対して批判をしたいわけでもない。


ただ、介護施設と書かずに「シセツ」とという表記を選ぶ心情には、少なくとも、あまりいい気持のものを感じない。少なくとも介護の当事者(する人とされる人)への敬意は、全く感じられない。だから、私は使わない。













にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

2019年10月2日水曜日

読書メモ…「霊能者ですがガンになりました」



驚いた。

「強制除霊師・斎」 シリーズの主役である、斎さん、亡くなってしまっていた。






乳がんを発病されたということと、闘病記も漫画化されるということは、シリーズのほうの作品の巻末に書かれていたので知っていた。

でも、きっと治って元気になられるのだろうと思っていた。

亡くなったと知ったのは、Amazonで、ご冥福を祈るレビューを寄せている方がいたのを見たから。

まさかと思いながら、本を購入して読んだ。
巻末に、作画の小林薫さんが、「斎さんの思い出」として、亡くなられた日時やご様子を寄せていた。


オカルトものや霊関係の話は、基本的に苦手だ。

信じる信じない以前に、人の手に負えない世界からもたらされる理不尽を見せつけて、不安や恐怖をあおるような仕組みのものが多いからだ。

でも、「強制除霊師・斎」のお話は、人としてのありかたや、ふりかかってくる困難に向き合う姿勢に、ものすごくゆるぎない筋が通っているように思えて、好きだった。こわい話も、こわくなかった。



「霊能者ですがガンになりました」の斎さんも、いつもの作品と同じように、背筋がぴんとまっすぐなまま、がんに立ち向かっておられた。



悲しいけど、この漫画、面白くて、すごい。


自覚症状での受診。
ふれてわかるほどのコリコリがあり、「コリッチョ」と命名。

最初の検査。
痛くてつらいマンモグラフィーや生検を、いっそう痛くするような、医療従事者たちの理不尽な声掛け。

「痛かったら言ってくださーい」
「いででででででて!」
「我慢してくださーい」

検査、あるあるである。(T_T)


医師との関係。

斎さんの主治医は、腕はともかく、患者の心を平気で傷つけるようなことを口にするタイプだったようだ。

漫画で描かれているエピソードを半分に割り引いても、私だったら、二度とその病院に行かなくなるレベルのひどさ。患者の胸を見て、あなたなら再建の必要ないだろう、みたいなことを言うのって、漫画のネタでも却下したいくらいだ。

同じ科の医師とのいざこざを、患者にぶつける下りは、ほんとに腹がたった。
この医者たち、いつか自分が癌患者になるまで、反省しないのだろう、きっと。


人間的にヒドい主治医であっても、仕事に対して真摯であるという本質を見抜いていた斎さんは、セカンドオピニオンも取らず、主治医を変えることはしていない。

手術と、術後のリハビリ。抗がん剤を受けながらの、日常への復帰。

抗がん剤で髪の毛が抜けてしまってからは、値段の安いウイッグを使って楽しんでおられた。


霊能者の方の闘病記だから、もちろん霊も登場するのだけど、入院されていた病院が新築だったためか、あまり「いなかった」みたいで、意外と少な目だった。


新築の病院よりも、市役所の待合室にたくさんいるんだそうだ。死んだ方々も、なぜなんだろう。何かの手続きに行ってしまうのか。なんだか「死役所」(あずみきし作 新潮社)みたい…。



苦しみも葛藤も、自分の弱さも、学びとしてすべて受け止めて、病気と闘って生き延びることをあきらめない。

書いてしまうと簡単なことだけど、できる人はきっと少ない。




この作品は、内容がよいため、がん治療関係の学会でも取り上げられたのだそうだ。




霊能者ですがガンになりました」は、Amazonのkindle版は、読み放題に入っていれば、0円で読むことができる。

ピッコマなどの無料マンガアプリでも、一部読めるようだ。




 Amazonで見る


2019年4月1日月曜日

読書メモ「しびれる短歌」(睡眠時無呼吸症候群)





「しびれる短歌」(東直子 穂村弘 ちくまプリマー新書)の最初のほうに引用されていた歌が、強烈だった。








ほんとうにあなたは無呼吸症候群おしえないまま隣でねむる  鈴木美紀子



いや教えようよ、ヤバいよと、思わずツッコミたくなるのは、私自身がこの病気の怖さを知っている当事者(患者)だからだけども。


まともにツッコんだところで、この歌の抱え込んでいる黒い闇には勝てそうもない。



もしかしたら明日の朝、隣でねむる「あなた」は死んでいるかも知れない。

あるいは、居眠り運転などの重大な事故を起こしてしまうかもしれない。


そんなことになれば、「教えない」でいる人だって、確実に巻き込まれることになるだろう。


それでも「教えないまま」でいるのは、なぜか。

共に暮らし、「隣でねむる」ことが長く続くうちに、相手の存在をかけがえのないものと思う気持ちが、別のなにかに変わってしまったのだろうか。


かき回すのを忘れて放置していた"ぬか床"が、すこやかな乳酸菌に見捨てられて、もはや腐敗臭を漂わす汚物になり果ててしまうかのような、そんなどうしようもなさが、隣り合ってねむる二人を包み込んでしまっているのかもしれない。



「しびれる短歌」といっても、毒にあたってシビレるほうの「しびれる」だろう。



怖い歌だ。








2019年1月16日水曜日

読書メモ・ロナルド・カトラー「秘密の巻物」


ロナルド・カトラー著「秘密の巻物」という小説を読みました(新谷寿美香訳・イースト・プレス)。

「ガーディアン」という、極端に排他的な信仰を持つグループと、アメリカ人考古学者のジョシュ・コーハンとの、命がけの戦いの物語です。


イスラエルの史実や遺跡など、事実に基づく描写が多く、そちらのほうに深い知識のある人にとっては、いろいろとツッコミどころのある作品なのかもしれないですが、細かいことは気にせずに楽しみました。



(ただ一点、どうしても気になる箇所がありました。物語の本筋に関わるものではないのですが、ツッコみたい欲求が抑えがたいので、最後に書きます😅😅😅😅)


主人公のジョシュは、有能な考古学者だけれど、大学の研究チームの上司に発掘上の大発見を横取りされた上、パワハラを受けるようになったため、休暇を取ってイスラエルを訪れます。

ジョシュは、マサダ(ユダヤ戦争で千人ものユダヤ人が篭城してローマ軍と戦ったといわれる要塞)を見学したあと、エルサレムを目指して車を走らせている途中、強い既視感のある洞窟に導かれるようにして入り込み、古い壺の中に入った巻物を掘り当てます。

ジョシュが巻物の文書を解読すると、驚いたことに、巻物の著者は、ヨシュア・ベン・ヨセフ(ヨセフの息子ヨシュア)、イエス・キリストその人であるようでした。

巻物のなかのイエスは、自分の教えが歪んだ形で後の世に伝わって悪用されることを予見し、それを避けるために、自らの死を迎える前にこれを書き残すことにしたと語っていました。

考古学者としての大発見の可能性に心を躍らせたジョシュは、イスラエル考古学庁(IAA)に連絡を取り、自分を調査メンバーに加えることを条件に巻物を引き渡したいと伝えます。

けれどもその直後から、ジョシュの周囲に怪しい影が見え始め、友人や同僚、警護を担当した人々が、次々と殺されていきます。

それらは、「ガーディアン」という狂信的グループによる犯行でした。
彼らの目的は、自分たちと同じ信仰を持たない人間全てを地上から消し去ることであり、その恐るべきジェノサイドの欲求は、何世代も続くカリスマ的な指導者によって広められ、世界各地の権力者層にまで浸透しているようでした。


「ガーディアン」の現在の指導者は、父親である先代指導者によって、筋金入りの狂信者として育てられていました。

彼は、危険なカルトの教祖の典型のような人物で、恐怖によってメンバーを洗脳支配し、他人の苦痛や死には一切の共感や痛みを覚えず、対立する考えを持つ人間を残虐に扱って恐怖でねじ伏せることを喜びとします。

その類いの人物には、たとえ物語の中であっても出会いたくないというのが、正直なところですけども、考えてみると新約・旧約の「聖書」の時代から、そういう権力者は繰り返し出現していたわけで、これはもう「人間」という種族が先天的に抱え込んでいる「病気」と考えたほうがいいのかもしれません。

現代医学が「狂信」をどのように捉えるのかについて、詳しくは知りませんが、パーソナリティ障害についてのさまざまな解説のなかに、客観性や整合性のない思想に固執し、それを「狂信」する人物像が書かれている場合があります。残虐行為を行ったとされる歴史上の独裁者たちも、そうした"症例"の一つとして紹介されていたりします。けれども、ヒトラーやヘロデ王が「患者」として医療現場に送られたとして、はたして治療、療育が可能なものかどうかは、想像もつきません。

さて、ジョシュの発見した巻物は、「ガーディアン」のように、キリスト教の教えを曲解してジェノサイドを引き起こす狂信者が現れることを危惧するものですから、もしもそれがイエス・キリスト自身の手になるものとして公表されることになれば、「ガーディアン」の存続自体が危ぶまれることになります。なので、彼らとしては、どうしても自分たちの手で巻物を回収し、内容を知る全員を粛正する必要があったのでした。


身内にも内通者がいるという状況にあって、ジョシュは、巻物の言葉が示唆する事柄と、自らの直感のみを支えに、「ガーディアン」のもくろみを打ち破ろうとします。


そういうスリリングな攻防の中で語られる、ジョシュの心情についての一節が、本作の中では、一番心に残りました。

人生には、傷ついた自負心などよりもっと大切なものがある。(p358)

彼は、かつて自分の業績を横取りした、憎むべき上司のことを、なつかしく思い出し、彼の名前を偽名として使うことまでしています。生きるか死ぬかという状況だからこそでしょうけれども、過去のしがらみをすっきりと手放したことに、共感を覚えました。


このくだりの少し前に、旧約聖書の詩篇(103篇)の一節が引用されていて、それも印象に残りました。


人の人生は草のよう。
いっときに花を咲かせ、そして萎れる。
風が通りすぎれば、枯れてしまう。
けれど、主を慕う花への主の愛は
いつまでも絶えることはない。
主よ、あなたの正さは
世々とこしえにつづきます。
今の世代がついに平和を知り、
すべての人々がひとつに結ばれますように。
(p349-350)



口語訳の聖書では、ここの箇所は次のようになっていました。

人は、そのよわいは草のごとく、
その栄えは野の花にひとしい。
風がその上を過ぎると、うせて跡なく、
その場所にきいても、もはやそれを知らない。
しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、
主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、
その契約を守り、
その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。
主はその玉座を天に堅くすえられ、
そのまつりごとはすべての物を統べ治める。
主の使たちよ、
そのみ言葉の声を聞いて、これを行う勇士たちよ、
主をほめまつれ。
主が造られたすべての物よ、そのまつりごとの下にあるすべての所で、主をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。

(口語訳 詩篇第103篇 15-22)


詩篇のほうでは、「すべての人々がひとつに結ばれますように」という意味の言葉はないので、そこのところは作者の創作、もしくは翻訳者による意訳なのかなと思います。


旧約聖書の時代の人々にとって、人の命は、いまの時代よりもはるかにはかなく、脆いものだったことでしょう。その脆さ、心細さを支えてくれるものとして、神様を頼り、深い信仰心を抱いたのかもしれません。


けれども、やすらぎと安寧を求める心から広まったはずの信仰が、世界中でさまざまな争いの元となり、人の命をいっそうはかなくしてしまうところに、なんともいえないやりきれなさがあります。

この作品に出てくるイエスの「巻物」は実在しないものですが、二千年前に、人々を愛し荒れた世の中を憂えた、心優しい預言者が、自分の教えが未来社会で大きな争いを引き起こさないようにと願ったとしても、そう不思議ではないように思われます。


作品の最後で、巻物が、大量殺戮の起きる未来を、具体的な日時つきで予告していることが明かされますが、いささか悪趣味な趣向で、そこは必要なかったかなと思いました。


さて…
どうしてもツッコミたかった部分は、主人公ジョシュの養父母についての設定です。



あれはちょうどジョギングから戻ったときだ、養父母が飛行機事故で死亡したという連絡を受けたのは。(p53)

養父母のエマニュエルとミリアムの顔が、目の前に現れては消えていく。自分が笑い声をあげながら、ふたりと走り回っている。遊んでいるのは裏庭で、自分は四歳、おそらく養父母が飛行機事故で死ぬ数ヶ月前のことだ。(P195)



四歳くらいの幼児が、「ジョギング」をするものなのか。(´・ω・`)

あるいは飛行機事故で死亡した「養父母」が一組ではなかったのか。

どこか、うっかり読み飛ばしてしまったのかとも思いましたが、本筋を揺るがす部分ではないので、あまり深く考えないことにします。







2019年1月14日月曜日

読書メモ…歯痛・抗菌剤


自殺した太宰治の追悼、というよりも、力の限りドヤしつけているようにも思える「不良少年とキリスト」は、坂口安吾のひどい歯痛の話から始まります。


 もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。ねて本を読む。太宰の本をあらかた読みかえした。
 ズルフォン剤を三箱カラにしたが、痛みがとまらない。是非なく、医者へ行った。一向にハカバカしく行かない。
「ハア、たいへん、よろしい。私の申上げることも、ズルフォン剤をのんで、氷嚢をあてる、それだけです。それが何より、よろしい」
 こっちは、それだけでは、よろしくないのである。
「今に、治るだろうと思います」
 この若い医者は、完璧な言葉を用いる。今に、治るだろうと思います、か。医学は主観的認識の問題であるか、薬物の客観的効果の問題であるか。ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。
 原子バクダンで百万人一瞬にたゝきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。バカヤロー。 
(青空文庫版「不良少年とキリスト」冒頭より) Amazonで見る



ものすごく、痛そうです(T_T)。


ここで気になるのは「ズルフォン剤」という、耳慣れない(目にも慣れない)薬剤。

どんなものだろうと思ってネット検索すると、現在では「サルファ剤」と言われる、抗菌剤のことだと分かりました。この薬剤の発見者であるドイツ人医師、ゲルハルト・ドーマクは、これによりノーベル医学賞を受賞したとのこと。


日本には昭和初期から輸入され、国内生産もされていたようです。  

太宰治が亡くなった昭和23年(1948年)の夏に、坂口安吾が何箱も買い込んで服用していたという「ズルフォン剤」のパッケージなどの写真資料がないかと思って検索してみましたが、見当たりませんでした。


昭和の日常生活については、近世以前よりもはるかにたくさん資料があるようでいて、こういう細かなところから、容赦なく分からなくなっていくように思います。





 Amazonで見る






2019年1月10日木曜日

太宰治「人間失格」 (仮病)



「人間失格」をはじめて読んだのは、三十代になってからでした。


その後も、何度となく読んでいるのですが、読むたびに、「こんなくだりがあっただろうか」と、新鮮な気持ちになる、不思議な小説です。


物語全体を覚えていられないのは、トシのせいで記憶が怪しくなっているせいもあるのでしょうけれども、そればかりでもない気がします。



合うたびに、顔の雰囲気や話す内容が変わってしまって、印象の安定しない人って、ときどきいますよね。


悪い人ではないような気がするけれど、かといって、いい人なのかどうかも、よく分からない人。

こちらが、「よくわからないけど、この人は、もしかしたら、こんなタイプの人かもしれない」と想像してみている、そのイメージをいつのまにか読み取って、意図的にそれに合わせてきている気配さえ見え隠れするような、奇妙で不気味な人物。


太宰治の「人間失格」は、本ですから人間ではありませんけれども、なんだかそういう振る舞いをする人格を持っているような気がしてなりません。

作者はとっくに亡くなっているのに、残されたこの作品は、まるで生きている人間のように意識を保っていて、しかも、いまだに「何者」にもなりきれない不安定な苦悩のなかに生きているつもりで、あれやこれやと、自分をそれらしく見せているのではないかとさえ、思われてきます。


怖い本です。




太宰治 「人間失格」青空文庫

 Amazonで見る 


↑ Amazon Kindleで、無料で読めます。


今回読んで気になったのは、主人公が心中未遂後の取り調べで、結核であるかのように装って、警察官を騙そうとするところでした。



------------------------------

訊問がすんで、署長は、検事局に送る書類をしたためながら、

「からだを丈夫にしなけりゃ、いかなね。血痰が出ているようじゃないか」

と言いました。

その朝、へんに咳が出て、自分は咳の出るたびに、ハンケチで口を覆っていたのですが、そのハンケチに赤い霰が降ったみたいに血がついていたのです。けれども、それは、喉から出た血ではなく、昨夜、耳の下に出来た小さいおできをいじって、そのおできから出た血なのでした。しかし、自分は、それをいい明さないほうが、便宜な事もあるような気がふっとしたものですから、ただ、

「はい」

と、伏眼になり、殊勝げに答えて置きました。


(引用終わり)
------------------------------



さして悪辣でもない、保身のためという理由のついた、わざとらしい演技ですが、なんだかこの嘘が、読んでいて、妙に気持ちに引っかかりました。




ふと、「詐病」という言葉を思い出して、Wikiで説明を見てみました。


(以下、一部引用)


詐病(さびょう)とは、経済的または社会的な利益の享受などを目的として病気であるかのように偽る詐偽行為である。

類義語に仮病(けびょう)があるが、詐病とはニュアンスが異なる。

仮病は、欠席の理由付けなど、その場しのぎに行うものをいうことが多い。

これに対して詐病は、実利を目的とするものをいうことが多く、どちらかというと虚偽性障害(きょぎせいしょうがい)に近い。

また、類似の症例としてミュンヒハウゼン症候群があるが、これは周囲の関心を引くために行われるという点で詐病や仮病とは異なる。

 DSM-5には

「詐病は個人的な利益(金銭、休暇)などを得るために意図的に病状を訴えるという点で作為症とは異なる。対照的に、作為症の診断には明らかな報酬の欠如が必要である。」

と書かれている。

詐病・仮病という名称は、いずれも偽る行為をさす名称であり、これら自体は病名ではない。


(引用終わり)
------------------------------


「人間失格」の人については、詐病、とまで言っていいのかどうか、判断に迷うところですが、病気であると相手に思わせることで、何らかの利益を得ようという意志があることは、間違いありません。なにしろ本人がそう語っています。

でも、具体的にどんな利益を得たかったのかは、本人もよく分かっていない様子です。


いずれにせよ、彼のもくろみは、聡明な検事との面談中に、打ち砕かれることとなります。



------------------------------

しかし、その時期のなつかしい思い出の中にも、たった一つ、冷汗三斗の、生涯わすれられぬ悲惨なしくじりがあったのです。自分は、検事局の薄暗い一室で、検事の簡単な取調べを受けました。検事は四十歳前後の物静かな、(もし自分が美貌だったとしても、それは謂わば邪淫の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐の気配を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く警戒せず、ぼんやり陳述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を見て、この咳もまた何かの役に立つかも知れぬとあさましい駈引きの心を起し、ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけの贋の咳を大袈裟に附け加えて、ハンケチを口で覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、

「ほんとうかい?」

 ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。中学時代に、あの馬鹿の竹一から、ワザ、ワザ、と言われて背中を突かれ、地獄に蹴落とされた、その時の思い以上と言っても、決して過言では無い気持ちです。あれと、これと、二つ、自分の生涯に於ける演技の大失敗の記録です。検事のあんな物静かな侮蔑に遭うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡されたほうが、ましだったと思う事さえ、時たまある程なのです。

(引用終わり)
------------------------------


心中に失敗して、相手の女性に死なれたことよりも、咳の演出を見破られてしまった恥の思い出のほうを、よほど比重の重い出来事として語っている主人公の、人としてのいびつさ、おかしさが、息苦しいほど迫ってくるくだりです。


この人にとって、結核のふりをして、警察官や検事の同情を買ったり、社会的に有利に事を運ぶことなんか、実はどうでもよかったのだろうなと、ここを読むと察せられます。

そんなことより、自分の中の不確かさ、どんな人間であるのか自分ですら分からない、人間としてのグロテスクさを、他人に見抜かれないために、とりあえず血痰を見せて、それで相手を都合良く納得させておきたいと、無意識に思っているのかな、とも感じられます。

そこにあるのは、何をしても自分らしさを確信できない、不確かな人格を抱えながら生きていかなくてはならない苦痛であり、そこからくる根深い対人恐怖と、劣等感なのだろうと思います。


この「冷汗三斗」の思い出の直前に、こんな段落があります。



------------------------------

 お昼過ぎ、自分は、細い麻縄で胴を縛られそれはマントで隠すことを許されましたが、その麻縄の端を若いお巡りが、しっかり握っていて、二人一緒に電車で横浜に向いました。

 けれとも、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、嗚呼、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ち着いて、その時の追憶を、いま書くに当たっても、本当にのびのびした楽しい気持ちになるのです。


(引用終わり)
------------------------------


私には到底理解できない心境ですが、「罪人として縛られ」た状態こそが、この「人間失格」の主人公にとって、最も自分らしいと感じられるありかただったからなのだろうと想像されます。


麻縄で縛られた罪人になってしまえば、もうそれ以上、不確かな、何者でもない自分に苦しむこともないわけですから。




それにしても、今回、なんでこの「仮病」のくだりに、意識がひっかかったのかなと思います。


もしかしたら、「ペルソナ5」の影響かも……。
















三浦綾子「塩狩峠」(歩行障害・結核)

三浦綾子「塩狩峠」は、Kindle本でも読むことができますが、今回は、地域の図書館から小説選集を借りて読みました。紙の本も、よいものです。







キリスト教を信仰する青年が、自らの命を犠牲にして客車の脱線を食い止めたという実話に基づく物語です。

その悲痛な結末を知っていたので、長いこと原作を読む勇気が持てなかったのですが、先日、Kindleの無料抄録版(主人公の生い立ち部分のみ収録)が出ていたのを読んでみたところ、あまりにも面白かったので、図書館で本を借りて、残りを一気読みしました。


「塩狩峠」の主人公の死は、たしかに悲痛なものでした。

けれども、明治中期という時代のありさまとともに、じっくりと描かれた主人公の成長の過程や。家族とのかかわり、出会う人々との濃厚な交流の記憶が、作中での主人公の死を、ただ死んで失われてしまうだけの悲劇ではないものに変えていたと思います。


なかでも、治る見込みの薄い身体障害や、難病とともに生きることについての、深い思いが描かれているのが印象的でした。

主人公の永野信夫は、頑強な肉体の持ち主とは言えないものの、持病もなく、健康に暮らしていましたたが、目の前で祖母を失い、父にも早く死なれるなどの体験を経て、人の命がはかないものであることを否応なしに実感し、繊細な性格のせいもあって、深く思い悩みながら成長していきます。


信夫は、親友である吉川修(おさむ)の妹の、ふじ子という少女に、自分でも気づかないほどの淡い恋心を抱いていましたが、ふじ子は生まれつき足に障害があり、幼いころからいろいろな差別を受けていました。


吉川兄妹は家庭にもめぐまれず、ろくでもない父親がこしらえた借金のために、唐突に家族で、当時は「蝦夷」と呼ばれていた北海道へ移住することになるのですが、父親はまもなく病死。残された母親と修とで家計を支えるようになります。


大人になって再会した信夫と修は、障害を抱えながら、美しくおおらかに成長したふじ子について、二人で語り合います。妹を保護し慈しむだけでなく、独立した人間として、その存在そのものに敬意を抱く修の言葉に、信夫は大きく心を動かされます。



「そうだよ。考えてみると、永野君、今ふっと思いついたことだがね。世の病人や、不具者というのは、人の心をやさしくするために、特別にあるのじゃないかねえ」 
 吉川は目を輝かせた。吉川の言うことをよく飲みこめずに、信夫がけげんそうな顔をした。 
「そうだよ、永野君、ぼくはたった今まで、ただ単にふじ子を足の不自由な、かわいそうな者とだけ思っていたんだ。何でこんなふしあわせに生まれついたんだろうと、ただただ、かわいそうに思っていたんだ。だが、ぼくたちは病気で苦しんでいる人を見ると、ああかわいそうだなあ、何とかして苦しみが和らがないものかと、同情するだろう。もしこの世に、病人や不具者がなかったら、人間は同情ということや、やさしい心をあまり持たずに終わるのじゃないだろうか。ふじ子のあの足も、そう思って考えると、ぼくの人間形成に、ずいぶん大きな影響を与えていることになるような気がするね。病人や、不具者は、人間の心にやさしい思いを育てるために、特別の使命を負ってこの世に生まれて来ているんじゃないだろうか。 
 吉川は、熱して語った。 
「なるほどねえ。そうかもしれない。だが、人間は君のように、弱いものに同情する者ばかりだとはいえないからねえ。長い病人がいると、早く死んでくれればいいとうちの者さえ心の中では思っているというからねえ」 
「ああ、それは確かにあるな。ふじ子だって、小さい時から、足が悪いばかりに小さな子からもいじめられたり、今だって、さげすむような目で見ていく奴も多いからなあ」

(中略)

「じゃ、こういうことは言えないか。ふじ子たちのようなのは、この世の人間の試金石のようなものではないか。どの人間も、全く優劣がなく、能力も容貌も、体力も体格も同じだったとしたら、自分自身がどんな人間かなかなかわかりはしない。しかし、ここにひとりの病人がいるとする。甲はそれを見てやさしい心が引き出され、乙はそれを見て冷酷な心になるとする。ここで明らかに人間は分けられてしまう。ということにはならないだろうか」 
 吉川は考え深そうな目で、信夫の顔をのぞきこむように見た。信夫は深くうなずいた。うなずきながら、自分がきょう感じたバラの美しさを思い出していた。この地上のありとあらゆるものに、存在の意味があるように思えてならなかった。  (「塩狩峠」より引用)



作者の三浦綾子は大正十一年(1922年)生まれで、「塩狩峠」の執筆は、昭和四十一年(1966年)から始まったといいます。

昭和のその頃の日本は、まだ障害者に対する差別や偏見が厳しく、身内に障害や難病を持っただけでも、結婚に支障をきたすということが、当たり前のように起きていました。障害のある子供を産んだ母親が、夫やその親族に謝罪をするということも、めずらしくなかった時代です。


まして「塩狩峠」の舞台となっている明治の中ごろは、昭和よりもはるかに非寛容な世の中だったことが想像されます。貧富や身分の差による差別、外国人やキリスト教に対する根深い差別と偏見、東京から離れた地域に対する無知や差別意識など、作中でも、さまざまな差別が描かれています。


ふじ子の兄である修は、最愛の妹が良縁に恵まれることを心から願っていますが、それが難しいであろうことも十分に承知しています。

その上で、そういう困難を抱えた妹の存在を、周囲の人間の成長を促す試金石という、「特別の使命」を持つものと捉えようとする修と、その考えに自然に共感できる信夫は、当時の日本にあっては希有な若者だったろうと思います。


まだ年若いうちに「この地上のありとあらゆるものに、存在の意味がある」と感じた永野信夫は、ふじ子が結核を発病し、その闘病によりそううちに、キリスト教の信仰を持つようになります。

信夫はもともと、キリスト教には強い反感を持っていました。実の母親が敬虔なキリスト教徒であるがゆえに、西洋文化を嫌悪する祖母に家を追い出されたことや、祖母の死後に父親と復縁して戻ってきた母親と妹ばかりか、いつのまにか父親までもがキリスト教徒になっていたことを知って、家庭の中で強い疎外感を抱いていたのです。

自分の孤独はキリストのせいだと考えて、キリスト教に恨みすらもっていた信夫の心を動かしたのは、病を得て一層美しく勇敢な精神のままである、ふじ子の生き方でした。ふじ子もまたキリスト教の教えによって、救いの見えない闘病生活を支えられていたのでした。

修や信夫の、ふじ子に対する思いは、「この子らを世の光に」…その思いとともに、知的障害の子供たちの福祉と教育に尽力した、糸賀一雄という人の思想にも、通じるものであるように思います。糸賀一雄もキリスト教徒とのこと。


「塩狩峠」読了後、三浦綾子の自叙伝でもある「道ありき」を読むと、困難な病や障害を得た人生が、極めて意味深く、周囲の人の心をも豊かなものにしていく場合のあることを教えられます。作者が小説家であってくれてよかったと、心から思います。




これを書きながら調べていて知ったのですが、糸賀一雄「この子らを世の光に」は、Kindle版で復刊されていました。いずれちゃんと読んでみようと思います。