2018年2月17日土曜日

映画「路上のソリスト」(統合失調症)


「路上のソリスト」 (原題 SOLOIST)


監督: ジョー・ライト
出演: ジェイミー・フォックス, ロバート・ダウニーJr., キャサリン・キーナー




以下の記事には、いわゆるネタバレ要素が盛大にありますので、映画をまだ見ておられない方は、ご注意ください。m(. .)m


……


ロサンゼルス在住の新聞記者、スチーブ・ロペスは、ある日、自転車で勢いよく転んで病院に担ぎ込まれます。幸い後遺症の残るような怪我はしなかったけれど、顔からアスファルトに突っ込んだため、悲惨な見た目になってしまいます。

傷だらけの顔で出勤すると、35歳以下のアメリカ人で新聞を読むのは40パーセントだけだという、新聞社にとってゆゆしき数字が話題になっていました。アメリカはイラクと戦争中であり、ロサンゼルスには路上生活者があふれ、貧困や犯罪など、目を背けるべきではない問題がいくらでもあるのに、売れるのはノーパン写真ばかりだと。


少し顔の傷がマシになったころ、ロペスは、公園のベートーヴェン像の前で、一心不乱に弦が二本しかないバイオリンを美しく奏でる路上生活者、ナサニエル・エアーズと出会います。(たぶんPershing Square公園だと思われます)


ロペスはナサニエルに話しかけますが、相互通行の会話はなかなか成立しません。
とりとめもなく連想され続いていく単語、情景、感情…

その中に、ナサニエルが在籍していたという、名門ジュリアード音楽院の名前が出てきます。ロペスは学院に問い合わせ、ナサニエルが確かに在籍していたものの、何らかの事情で卒業していないことを知ります。


ロペスはナサニエルとの交流を続けながら、彼について調べ、「西の視点」という人気コラムに彼の記事を書き始めます。





その過程で、ナサニエルの過去と、現在の問題が明らかになってきます。

十代前半でチェロを学びはじめたナサニエルは、あっというまに天才性を発揮し、指導してくれた先生や家族の支援を受けて、音楽院に進学します。

けれども、一人暮らしを始めた頃から、ナサニエルは、自分だけに聞こえる奇妙な声に悩まされはじめます。

疑念や不信を強くかき立てる、その声のために、ナサニエルは学びの場にいられなくなり、自宅に戻って姉の世話になるものの、その姉にすら命を狙われているという妄想に取り憑かれ、家を飛び出してしまいます。それが彼の路上生活のはじまりだったのでした。


事情を知ったロペスは、ナサニエルには定住する家と、精神病の治療が必要であると考え、その手助けをしようと奔走します。また、ロペスのコラムでナサニエルのことを知った読者のなかから、ナサニエルの才能を世に出そうと考える音楽家や篤志家が現れ、ナサニエルの支援を買って出るようになります。


ナサニエルは、生活が大きく変化することを恐れ、支援の手をことごとく払いのけようとしますが、ロペスは粘り強く働きかけ、なんとかナサニエルをアパートに住まわせようとします。ナサニエルにもその思いは通じて、自らの音楽のためにも、少しづつ受け入れようと努力します。


けれども、二人の関係は不均衡で不自然なものであり、そこからくる歪みが、やがて大きな破綻をもたらすことになります。


自らの正義感と同情心と、記者としての職業意識から、精神病者としてのナサニエルの人生に強引に介入し、「安全」で「安定」したものに変えようとするけれども、深い信頼関係を築く勇気を持てないロペス。


そのロペスを神に等しい存在として慕いながらも、ロペスの思惑が、必ずしもナサニアル自身の、人としての尊厳に敬意を払ったものではないらしいことや、ロペスが自分に構う理由が心からの友情や愛情ではないことを見抜いているナサニエル。


ナサニエルは、ロペスが確認を求めてきた書類のなかに、自分を「統合失調患者」とする文章があることに気づき、ロペスに対して激しい怒りと殺意とを見せます。


暴力を振るわれて命の危険を感じたロペスは、ナサニエルの元から逃げ出しますが、同時に自分のなかにある、根深い欺瞞と弱さに気づかされることになります。

精神病を患った天才を助けることも、ロサンゼルスという街の抱える病理を、自らの記事の力で「治す」ことも、ロペスにはできませんでした。けれども、居て欲しいときにそばにいる友人になることだけは、自分にもできると気づいたのです。


ナサニエルも、自分を助けようとしていたロペスに暴力をふるってしまったことを深く反省し、そうした自分を変えたいという気持ちが芽生えたのかもしれません。


再会した二人は、互いに信頼できる友人となっていました。




統合失調症と人生




映画のなかで、ナサニエル・エアーズが統合失調症であることが示唆されています。

けれども、彼は自分がその病気であることを認めず、治療も拒否します。

また、ロサンゼルスの路上生活者のなかには、ナサニエルと同じように統合失調症と思われる精神病を患っているらしき人が多数いるようなのに、彼らを支援するセンターの職員は、治療や投薬には難色を示します。職員は経験的に、投薬治療が彼らの人生を必ずしも好転させないと知っているのでした。


治療できるのにしないのは不合理であると受け止められるかもしれませんが、現実にこの病気と関わったことのある方は、こうした経緯に納得する部分があるのではないかと思います。


統合失調症にに限らず、長い歳月をかけて、人格や人生そのものに根深い影響を与える病気は、それを治療し、完治させただけでは、その人の人生の問題を解決したことにはならない場合があります。

だからといって、治療をしないことが正解というわけでもありません。

病気そのものを治療するだけでなく、その人の人生そのものを再生、再構築し、納得のいくものにしていく必要があるのだろうと思います。ただ、それはほんとうに難しいことでもあります。その難しさの一端が、「路上のソリスト」でも描かれていました。


この映画は実話に基づいたものだそうで、現実のエアーズ氏も、やはり治療は受けなかったようです。

YouTubeで「Nathaniel Ayers」の名前で検索すると、映画ではない、エアーズ氏本人の演奏の動画をいくつも見ることができます。エアーズ氏は、バイオリンとチェロだけでなく、トランペットも演奏しています。自由奔放なスタイルと、奥深い音色は、とても魅力的です。





Mr. Lopez Meets Mr. Ayers






2018年2月16日金曜日

「猫の国語辞典」(ハンセン病)


佛渕健悟・木暮正子編「猫の国語辞典」小学館


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動物を詠んだ短歌や俳句がすきなので、本書を取り寄せて眺めていたら、句歌の下に「ハ」という記号のついたものがいくつもあるのに気づきました。


巻頭の凡例を見ると、「ハ」は「ハンセン病文学全集」を出典とする作品ということでした。


以下に、「ハ」のマークのついた句歌を、抜き出してみました。
(一通り確認しましたが、抜けがあるかもしれません)


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肌柔き仔猫を日日に愛しめり盲ひゆく今の独り静けく 辻瀬則世


犬猫の夜見ゆる眼を涙してうらやむ共を慰めがたき   鈴木数吉


垣ばら(薔薇)の真赤に咲ける花の下身籠る猫の腹が土をする  笠居誠一


わが座れば、なき足の上の衣のうへに来てさみしく猫は眼をつぶるなる  尾山篤二郎


陽炎や障子に映る親子猫  近藤緑春


猫去りて矢と降り来たる寒雀   辻長風


玄関を出る恋猫を見とどけぬ   辻長風                  


鈴つけし猫従いてくる萩の道   水野民子


猫の子の鼻に消えたり石鹸玉(しゃぼんだま)    一松


日向なる猫丸々と牡丹の芽       小見思案


猫の子に飯を冷やしてあたえけり  中野三王子


猫抱いて胸を病む娘や秋の風   栗原春月


芭蕉忌の猫抱いてゐる盲かな   藤本銭荷 
(ハンセン病で視力を失った自身のこと)


野良猫も生きねばならぬ軒に居る    伊藤松洞


毛がぬけて嫌われてをり孕み猫   早川兎月


盲人の膝に眠れる子猫かな   太田あさし 
(盲人=ハンセン病で視力を失った自身)


春近き日向に丸き仔猫かな  武田牧泉


夫婦猫夜なべの姿の傍らに   中野きんし





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一つ一つの短歌や俳句のなかの、猫に向けられる思いや視線の背景に、詠まれた方々の深刻な病状や、重苦しい境遇があるのが感じられます。


視力を失って、抱いた猫の体のぬくもりを静かに感じている方々。

夫婦の猫や、恋する猫、妊娠した猫を詠んでいる方々は、療育園の方針で、結婚や出産を禁じられていたのかもしれません。

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「ハンセン病文学全集」のプレスリリースと、ネットパンフレットを掲載しているサイトがありました。


プレスリリース
https://www.atpress.ne.jp/news/483

ネットパンフレット
http://www.libro-koseisha.co.jp/TOP-zenshu-pan/PANHU-MAIN.html


詩歌の巻は、昨年(2017年)亡くなった大岡信氏が責任編集者となっています。

全十巻は第一期というのだから、二期以降も刊行されるのでしょう。


「猫の国語辞典」の「ハ」の作品に気づかなければ、こうした全集があることも知らないままでした。


差別と隔離が産んだ文学というふうに捉えるならば、本来なら、あってはならない作品集であると言えます。

けれども、現実にそれは起きてしまったのであって、そこで生きてきた方々が残した作品が埋もれて消えてしまうことも、あってはならないことだと思います。







ハンセン病



日本では、いまではとてもまれな病気になっているけれど、全世界では25万人ほどの患者が登録されているといいます。

歴史的に差別の原因となってきた疾患ですが、現在では適切な治療を受ければ、重い後遺症を残さず、感染源となることもない病気であることは、広く知られるべきだと思います。

ウィキペディア 日本のハンセン病問題