2016年9月12日月曜日

平野啓一郎「マチネの終わりに」  (PTSD)

マチネの終わりに Kindle版

平野啓一郎  (著)    Amazonで見る







 《本文より》







「あなた自身が『制御不能』になりますよ。PTSDの兆候はあります。その現実を過小評価しないでください。わたしは、まだあなたがバグダッドにいること自体、どうかしてると思ってますよ。あなたが、『過労死』の国の人間だからですか? 心も体もボロボロになって、この先何年も仕事ができなくなっていいんですか?」

 二度目のバグダッド取材への自分の過剰な期待を、洋子は冷静に振り返った。それが不首尾に終わりつつある今、彼女は、未来に漠然とした、暗いものを感じた。ジャーナリストとして、この先、何をすべきか? 二度のイラク取材の経歴は、間違いなく、社内での昇進を有利にするだろう。しかし、なぜかそれを、率直に喜ぶ気になれなかった。

 自分はあの時、もう一つだけ質問をしていたら、自爆テロに巻き込まれて死んでいた。たった一つ。----どうして自分はまだ、生きているのだろう?

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洋子のPTSDPost Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)の症状は、悲痛で過酷でした。

治安が最悪な状況にあったバグダッドに取材にいったことは、洋子自身の希望でしたが、それをせずにはいられない理由を、洋子の人生は抱えていました。なので、しかたのないことだったのかもしれません。

けれども、PTSDに加えて、悪意のある人間の陰謀で最愛の人と理不尽に引き裂かれ、失意のさなかにろくでもない相手とうっかり結婚してして出産、その相手が不倫の果てに離婚請求してくるというのは……作者、ちょっとサドじゃないかと思います。(´・ω・`)


小説の感想ですが……たぶん、よい恋愛小説なのだとは思います。

印象的なフレーズがふんだんにでてきて、心の中にいくら書き留めてもきりがないくらいでしたし、お互いの魂が沁み入るように交わっていく蒔野と洋子の出会いもよかったですし、いかんともしがたい戦争や社会構造と、個人の人生とのやりきりない関係についても、読み応えのがあるのに読みやすい文章で綴られていて、一気に読めましたし。


そして、もろもろの誤解や陰謀から絶望的に引き裂かれたあとで、再会し、お互いの愛情が昇華の時を迎えるラストも、納得できるものではありましたけれども。


洋子の元夫(&一族)と、蒔野の嫁。


この人々の、肥大した自己チューさと欺瞞が、作中の美しいものを全部相殺して、なお余りあるくだらなさを発散させていると感じられるため、おそらく二度と読む気にならない作品のリストに入ることになりそうです(´;ω;`)。


人間誰しも自分が一番大事でしょうし、愛する相手に自分が一番愛されたいと思うのも自然な気持ちでしょうけれども、そういう自分の我欲を押し通すために、最愛のはずの相手の気持ちを全く無視した暴挙に出る神経には、どうにも共感できません。


特に蒔野の嫁。
嫁になる前に、蒔野名義のウソの絶縁メールを洋子に送りつけて、二人を決定的に破局させるという、ちょっと信じられない反則技を使ったばかりか、罪の意識に屁理屈をつけて蓋をして、自分がちゃっかり蒔野と結婚した上、妊娠でダメ押しをするという、取り返しのつかないことをしてしまいます。

で、結局、罪の意識に堪えかねて、出産直前に事実関係を告白して、結局蒔野を苦しめるという、どこまで行っても自分のことしか考えていない振る舞いが、どうにも鼻について、ダメでした。


蒔野にもう少しだけ、人を見る目があったならと、思わずにはいられません。
職業的スランプに加えて、洋子との理不尽な破局に傷ついていたとしても、そして、いくら仕事のサポートをしてもらっていても、この人とだけは結婚してはいけなかったのに。


洋子のほうも同じです。
元夫のリチャードは、人間として、元から洋子と釣り合う相手ではありませんでした。洋子がPTSDで弱り切っているところにつけこんで結婚に持ち込んだくせに、子どもができた後に不倫して離婚をつきつけるという、実に天晴れなゲスっぷりですが、そういうリチャードを選んでしまったのは洋子自身です。


人生の肝心なところで妥協すると、トンデモないツケがやってくるのだという教訓を読み取るのは、この小説の読み方としては、間違ってると思うのでしませんが、こんな取り返しのつかない大間違い過去を読み替え、ろくでもない人々たちの存在意義すら良きものとして再構築し、結局お互いが最愛の相手であると確認した二人の今後はどうなるのか、小説は結局何も語らずに終わります。


その先のことは、読者が好きに想像していいと、作者ご自身がインタビューで答えている記事を読みました。


私としては、蒔野は嫁と離婚しつつも、子どもの養育は協力して行い、洋子とは生涯のパートナーとして、結婚せずに支え合いながら生きていくのではないかなと想像しましたが、やっぱり作品中で、全部ケリをつけてほしかったと思います。










・・・・

読後の翌日になっても、どうにも後味のよくなさが残る作品なので、ちょっと追記します。

(´・ω・`)


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《蒔野と洋子が出会った夜の会話》

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」

 陽子は、長い黒い髪を首の辺りで押さえながら、何度も頷いて話を聴いていた。

「今この瞬間も例外じゃないのね。未来から振り返れば、それくらい繊細で、感じやすいもの。……生きていく上で、どうなのかしらね。でも、その考えは? 少し怖い気もする。楽しい夜だから、いつまでもこのままであればいいのに」

 蒔野は、それには何も言わずに、ただ表情で同意してみせた。話が通じ合うということの純粋な喜びが、胸の奥底に恍惚感となつて広がっていった。彼の人生では、それは必ずしも多くはない経験だった。


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この場面には、のちに蒔野と洋子をウソのメールで破局させ、自分が蒔野の嫁におさまる女性もいますが、二人の話を全く理解できず、実に善良で無神経なコメントを繰り返し、そのまま泥酔して寝てしまいます。


ここの場面で語られていることは、のちの彼らの運命をすっかり予言しているようにも思えます。

過去の持つ意味合いは、たしかにその後の経験によって、さまざまに変化していく場合があります。

けれども、未来に何があっても自分のなかで変質することのない大切なものを、ちゃんと見抜いて、自分の命を守るのと同じだけの覚悟で、守り切ることさえできれば、蒔野と洋子は、本来自分たちが結ばれるべき相手を見失わずに済んだはずだったのではないか……ここのところを読み返して、そんな風に思いました。

この物語のなかで起きる、恋愛と結婚の惨憺たる失敗は、ある意味、そうやって引き起こされたのだと思います。なんだかほんとに、この二人、自分を大切にしない人々でした。


けれども、その取り返しのつかない過去をも、未来の在り方によっては、別の意味合いのものに変えていくことが可能なのだと、この場面は示唆しているのだろうと思います。

そんなふうに、過去に向かって啖呵を切って始まった物語であるのですから、たとえ描かれていなくても、二人の未来は幸せであるはずです。


ということで、いささか無理矢理納得して、最悪だった読後感を、スッキリしたものに書き換えることに成功したのでした。











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