太宰治「津軽」
《本文より》
私はこの吹出物には心をなやまされた。そのじぶんにはいよいよ数も殖えて、毎朝、眼をさますたびに掌で顔をなでまはしてその有様をしらべた。いろいろな薬を買つてつけたが、ききめがないのである。私はそれを薬屋へ買ひに行くときには、紙きれへその薬の名を書いて、こんな薬がありますかつて、と他人から頼まれたふうにして言はなければいけなかつたのである。私はその吹出物を欲情の象徴と考へて眼の先が暗くなるほど恥ずかしかつた。いつそ死んでやつたらと思ふことさへあつた。私の顔に就いてのうちの人たちの不評判も絶頂に達してゐた。他家へとついでゐた私のいちばん上の姉は、治のところへは嫁に来るひとがあるまい、とまで言つてゐたさうである。私はせつせと薬をつけた。
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上に引用した本文は、Kindle版(無料)の「津軽」。
それだと、ちょっと表紙がそっけないので、新潮文庫版の表紙の写真を上に貼らせてもらいました。
いじめられたわけでもないのに、ニキビが増えただけで、ここまで追い詰められる人生は、あまりにも息苦しいです。(´;ω;`)
物語のなかの「治」は、いささか自意識過剰のようにも思えますが、気持ちは分からなくもありません。こんな十代の子が近くにいたら、どう声をかけるだろうかと、考え込んでしまいます。
それにしても、ニキビが「情欲の象徴」であるという考え方は、1920年代当時、一般的だったのでしょうか。
私は聞いたことがありませんでしたが、鼻の下に出るニキビのことを、「スケベニキビ」というのだそうで、少なくとも四十年ほど前には、そういう考え方が出回っていたとか。ネットにも「スケベニキビ」についての記事が、たくさんあります。こういう迷信のせいで、からかわれて傷ついた子も、多かったのかもしれません。
他にもニキビや吹き出物のでてくる作品がないか、探してみようと思います。
※参照
水野敬也 「LOVE理論」 (醜形恐怖)
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