2016年9月11日日曜日

蒼井紬希「あやかし恋古書店 」  (記憶喪失)


あやかし恋古書店~僕はきみに何度でもめぐり逢う~ 
(TO文庫) Kindle版
蒼井紬希 (著), nineo (イラスト)


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《本文より》

 記憶喪失になった原因は、今から十五年前の交通事故のせいだった。ちょうどその頃、紗月の両親は離婚で揉めて、父が家に帰らない日が多くなっていたらしく、母が勤めに出ている間は、祖母に面倒を見てもらっていた。そんなある日、十歳を迎えた誕生日に紗月は一人で神社に遊びに向かった。その途中で、交通事故に巻き込まれたのだそうだった。

 病院に運び込まれたときは重体で、奇跡的に回復したものの、事故に遭った前日までの記憶がさっぱり思い出せなくなっていた。医師に詳しく看てもらったところ、脳に損傷はなく、後遺症は心配ないとのこと。最終的に、記憶の喪失については、何か心理的なものが作用して一時的に思い出せないのかもしれない、という診断が下された。

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切なくも、ほのかにハッピーエンドで終わるお話でした。


漫画や小説など、物語のなかでは頻繁にとりあげられる「記憶喪失」ですが、本書のヒロイン、紗月のように、事故以前の人生の全エピソードがごっそり消えてしまうような事例は、現実には、とても少ないのだそうです。

本書では、事故直後の紗月の生活について、ほとんど語られていませんが、どうやら失ったものはエピソード的な記憶だけで、言葉や生活習慣などについての知識は、残っていた様子です。


紗月は、物語のなかで、二度、記憶喪失を起こしています。

その失われた記憶のなかで、紗月はかけがえのない出会いをしているのですが、いろいろな事情……主に、「あやかし」的な理由のために、その大切な人物と過ごした日々の思い出を、全て失うことになります。

けれども、絶対に忘れてはならない「何か」があるということだけは、脳か魂かわかりませんが、紗月の無意識に深く刻まれていたため、それに導かれて、出会いが再現されることになります。


人は記憶だけでは説明のつかない何かを抱えていて、それが本人の意志を超えたところで、人生を動かすことがあるというのは、なんとなく誰しも感じていることでしょう。

その「何か」は、運命という言葉で言い換えることもできそうです。

意識される記憶や、自分の意志を超えたところで、大きな出会いの法則が働いていて、それによって思いもかけない新しい人生を歩み出すことになるというのは、現実の事情や記憶に縛られ、閉塞感の強い生活を送っている大人や子どもにとって、心引かれるテーマです。

だから、多くの記憶喪失の物語が生み出されるのかもしれません。










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