2016年9月10日土曜日

宮沢賢治「永訣の朝」 (結核)



『春と修羅』 Kindle版




永訣の朝


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
     (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
     (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛び出した
     (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
     (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ

(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをぢろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ


(うまれてくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあようにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ

(一九二二、一一、二七)


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宮沢賢治の最愛の妹であるトシは、肺結核に感染していました。

トシが亡くなったのは、1922年の11月。

みぞれが降っていたということですので、気温は零度前後だったのでしょうか。

北国の冬としては、まだ極寒とは言えない日だったろうと思いますが、とりつくしまもないような空の描写や、兄の悲痛な思いから、凍り付くような寒さが伝わってくるように思います。

そんな中で、命の火が消えようとしているトシだけが、燃えるような熱さを放っています。


「はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから」

「あああのとざされた病室の
 くらいびやうぶやかやのなかに
 やさしくあをぢろく燃えてゐる
 わたくしのけなげないもうとよ」



まるで、恒星の終焉を見るように、賢治は妹の命の終わりを見つめていたのかもしれません。



・・・・

抗生物質の普及によって、結核は過去の病気になったと思っていましたが、現在でも、HIVの次に死者の多い感染症であり、一年間に150万人もの人が亡くなっているのだそうです(wikiの記事より)。

日本でも、近年、発病者が増えて、毎年2000人もの人が亡くなっているそうです。

厚生労働省のサイトによると、 平成27年末現在の結核登録者数は44,888人なのだとか。この数字は、結核が過去の病気などではないことを、はっきりと伝えています。


結核が、悲痛な文学作品を生み出す原因になる時代が再来しないことを、心から願います。





















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